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2011年2月15日 (火)

チャイコフスキー、ヒグドン「ヴァイオリン協奏曲」ヒラリー・ハーン、ヴァシリー・ペトレンコ指揮、ロイヤル・リヴァプール・フィル

301 ハーンがようやく去年チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲のCDを出した。さすがはハーン、ソロ・ヴァイオリニストなら弾き飽きているだろうチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲をひとひねりして演奏してみせた。

チャイコフスキーはもちろん濃厚にロマンティックな音楽だが、ハーンはそのロマンティシズムに自分が没入して一人称で語るのではなく、完全に相対化してみせたのだ。「ロマンティックな音楽を無邪気に演奏できた時代を懐かしむ」ロマンティシズムという、いわばメタ・ロマンティシズム(そんな言葉があるかどうか知らないが)だ。

それによって、19世紀から数え切れないほど演奏されてきたこの曲を、21世紀に生きる音楽家と聴衆がいまさら演奏し、聞くことの新たな意味を付け加えている。

ただし、その「メタ」を感じ取れない聴き手にとってはただのローキーな演奏に聞こえてしまうかもしれない。ハーンはいつものように完璧なテクニックで一音一音を正確に奏でる。テンポやダイナミクスを恣意的に動かすこともしない。しかし、その一音一音に意味をしっかりとこめて演奏しているのだが。

そういえばハーンのtwitterは、ヴァイオリン・ケースが語るという形式をとっている。ここにも一歩離れた所から物事を捉えることができるハーンの知性が反映しているのだろう。この人は賢いね。

なお、チャイコフスキーとカップリングされているヒグドンは、残念ながら後世に残る名曲だとは思えなかったが、fillerとしてはまあまあ悪くないのではないか。

Higdon & Tchaikovsky: Violin Concertos

Hilary Hahn, violin

Vasily Petrenko, conductor

Royal Liverpool Philharmonic Orchestra

Deutsche Grammophon    4778777

2010年11月28日 (日)

ガーシュウィン「ラプソディ・イン・ブルー、パリのアメリカ人」ジェイムズ・レヴァイン(ピアノ、指揮)シカゴ交響楽団

539イツ・グラモフォン(DG)の格安56枚組箱物「The Collector’s Edition 2」の1枚として聴いた。ガーシュウィンの母国アメリカの音楽家たちが演奏したこのアルバムがあることは昔から知っていたが、DGの黄色い額縁とガーシュウィンのイメージがマッチせず、単独のアルバムで購入するには至っていなかった(今ではDGはあの伝統ある黄色い額縁をやめ、カバーデザインの自由度が増しているので、ガーシュウィンに額縁をつけるようなことは今後はないだろう)。

ガーシュウィンの演奏に求められる生き生きとしたリズム感と自発性が、一流のクラシック演奏家の技術と表現力に裏付けられ、理想的なコンビネーションとなっている。もちろんジャズ演奏家のようなアドリブはないが、まじめな人が無理におどけているような危うさはなく、ジャズの語法を取り入れたクラシック音楽としての表現の完成度を追求し、成功している。

George Gershwin

Rhapsody in Blue, Cuban Oveture, Catfish Row – Suite from “Porgy and Bess”,  An American in Paris

Chicago Symphony Orchestra

James Levine, piano & conductor

Deutsche Grammophon  431 625-2

2010年11月15日 (月)

「言語のレシピ」マーク・C・ベイカー(郡司隆男訳)

4000227300

今までに何冊も生成文法の本を読んだが、いずれも前提を十分検討せずにいきなり英文法のモデル化作業をマニアックに進めるものばかりで、そうした作業が本当に生成文法(普遍文法)の存在証明につながるのかまったく不明なものばかりだった。本来、生成文法は言語学を科学にすることを標榜していたはずだが、実際にやっていることは実証を怠って教祖(チョムスキー)の教えを忠実になぞろうとする宗教そのものであり、生成文法の学者とはキモい連中だと思わずにはいられなかった。

しかし、本書を読んでようやくまともな生成文法(普遍文法)学派の学者に出会えた。かねてから生成文法の存在を証明するためには、類型論のアプローチが不可欠だと考えていたが、ベイカーはまさにこれを実践している。盲目的に英文法の精緻なモデル作成に没頭するのではなく、まず類型論に基づく言語間の比較を行って、世界のさまざまな言語の大きな特徴の差異を把握し、そのうえで順次パラメータを設定していくのだ。

ベイカーは、モホーク語が話される地域に住居を構えて実地調査を行った経験がある。そうした生の言語を対象とする研究を行った学者だからこそ、英語中心主義の陥穽に陥ることなく、バランス感覚を持って真に「普遍」を探求するアプローチができたのだろう。

著者は第7章で言語の多様性がもたらす豊かさを強調している。この多様性を尊重する立場は本書に通低するものでもあり、ベイカーは生成文法の仮説を絶対視することなく、あくまでも説明力がある範囲において採用している。生成文法を絶対視しないどころか、注意深く本書を読むと、認知言語学のアプローチを許容するととれる記述もある。ドグマにとらわれることなく、真理に対する謙虚な態度を持ち続けている。

生成文法を絶対視して崇め奉り、英語母語話者でないにもかかわらずつたない英語力を頼りに内省で英語のモデル作成に没頭している自称言語学者たちはベイカーの爪の垢を煎じて飲むべきだ。それにしても、実証をしようともせずに科学だと思い込んでいる生成文法学者たちは頭が悪すぎる。やはり言語学なんて食えない学問をやる時点で頭の悪い連中が多いのだろうか。



「言語のレシピ」マーク・C・ベイカー(郡司隆男訳)

岩波書店

ISBN: 4000227300

2010年10月31日 (日)

北海道すいーちゅプリン

Sp コンビニを覗いたときに、家人が発見したのが「北海道すいーちゅプリン」だ。私は知らなかったが一部で話題になっているらしい。小さめのマヨネーズそっくりの容器にプリンが入っている。一番の好物がプリンである私のために家人が買ってくれた。

マヨネーズそっくりの赤いキャップを取ると、やはりマヨネーズと同じように絞り口のところにアルミのフィルムで封がしてある。アルミフィルムをめくると、やはりマヨネーズと同じように星型の孔が開いていて絞れるようになっている。

しかし、この商品の場合はどちらかというと絞り出して何かにかけるというよりは、マヨネーズそっくりのチューブに直接吸い付いて、あたかもマヨネーズをチューブから吸い込んでいるような所作をするところに楽しみがあるのだろう。

したがって、私もチューブに直接吸い付いた。

たしかにカスタードの味だ。カラメルの苦味が入っていないために、シュークリームのクリームだけを食べているような感じでもある。想像したよりも甘さが控えめで上品な味わいであった。

ただし、315円という価格はコストパフォーマンスが良いとはいえない。一過性の話題づくりと割り切って楽しもう。売る方もおそらくそのつもりだろう。

2010年9月19日 (日)

エコキャップねぇ...

エコキャップ運動をご存知だろうか。かなり広まっているので知っている人は増えているだろう。職場でも、近所のスポーツクラブでも、ゴルフ練習場でも、キャップを入れるためのかごが用意してある。

使用済みのPETボトルを捨てる時に、キャップだけを分別して集めてしかるべきNPOに送ると、そのNPOがキャップを売却し、その収益金でワクチンを途上国に寄付するという運動だ。

ゴミに混ぜて捨てれば燃やされてしまうキャップが、分別すればリサイクル可能な資源になり、しかもその収益が途上国の子供たちのために使われる...環境にも良く、人助けにもなる、まことに申し分のない活動である。

しかし、本当にそうか。NPOのサイトによれば、400個のキャップで10円になるのだという。他方で、キャップを輸送するのに2400個あたり630円の輸送費がかかる。2400個割ることの400個は60円だ。630円かけて、60円を寄付する計算になる。金銭ベースでぜんぜん採算が合っていない。

630円かけて60円を寄付するくらいなら、はじめから630円寄付した方がよいのではないか。集めたキャップの輸送に使われる燃料からCO2も発生するし。

それに、最近はゴミを燃やした熱をサーマルリサイクルする自治体も増えており、ゴミとして捨てたものがすべて環境負荷になっているとは限らない。

かつてカン入り飲料のプルトップが取れた時代に、プルトップを集める運動があった。プルトップを集めて売却し、福祉用具を購入してしかるべきところに寄付するという運動だった。しかし、これが実は都市伝説だったらしい。

もちろんプルトップは資源としてリサイクルできる有価物であるが、何もプルトップだけを集める必要はない。カン本体もアルミや鉄としてリサイクルされているのだから、一緒にリサイクルすれば良いだけのことだ。

どうもエコキャップ運動は、プルトップ運動の生まれ変わりのような気がしてならない。私たちには、一見資源的価値がありそうな小物を集めたがる性癖があるのではないか。それを集めることで環境保護や人助けができるというストーリーが好きなのだろう。

善意でやっていることを頭ごなしに否定はしないし、キャップを捨てるときに目の前にかごがあればそこに入れるが、少なくともそれでとても良いことをしているとは思っていない。

2010年8月31日 (火)

バッハ「教会カンタータ全集」(Pieter Jan Leusink, Holland Boys Choir, Netherlands Bach Collegium)

006 オランダBrilliant Classics社の155枚組バッハ全集(Bach Edition)は、9月にもリニューアルして版が新しくなるらしいが、当方は未聴の山を抱えていて、現行版全集のうち教会カンタータをようやく聴き終えたところだ。

 

Leusinkたちは、肩肘張ったところのない自然体でバッハの教会カンタータ全曲の演奏に臨んだように聞こえる。およそバッハ演奏家にとって、教会カンタータ全集の録音は一世一代にあるかどうかのきわめて貴重かつチャレンジングな機会だろう。あれこれ思い悩んでどこかぎこちない演奏になってしまったとしても一概に批判できないくらいの挑戦だ。それにも関わらず、のびのびとした雰囲気で演奏しているところは長所だ。

 

声楽独唱陣は、いずれもピリオド様式によくなじむ自然な声質が美しい。しかし、技術・表現力ではお世辞にも完璧とはいえない。合唱と管弦楽も音色の統一感に欠け、合奏能力も一流とはいえない。

 

全集にこそなっていないがガーディナー(DG)と鈴木雅明(BIS)の教会カンタータ集を持っている身としては、残念ながらLeusinkを再びプレーヤーに載せることはおそらくないだろう。

 

2010年8月29日 (日)

国民が支持しない小沢一郎を支持する民主党議員とは

読売新聞の世論調査によると、民主党代表選で小沢一郎を支持する有権者は14%、菅直人支持が67%だった。民主党支持者に限ると、小沢一郎支持が17%、菅直人支持が77%と差が大きくなった。

 

ここまで国民から支持されていない小沢一郎を支持すると表明している鳩山由紀夫をはじめとする一部の民主党国会議員達は、何のために政治家をやっているのか? もちろん答えは明らかだろう。私利私欲のためだ。役職、金銭その他の見返りが期待できるからこそ、国民の意向に背いてまで小沢一郎を支持するとしか考えられない。

 

彼ら・彼女ら小沢支持の民主党議員たちもおそらく初めからこういう人間だったわけではないだろう。選挙に落ちればただの人になってしまう議員という職業の不安定さに付け込んで金と人脈の力で正常な判断力を奪ってしまう小沢一郎の“豪腕”は恐ろしいものだ。

 

さらに恐ろしいのはそんな小沢一郎が実際に権力を握ることだ。自己目的化した権力が自己増殖を始めるだろうから。

2010年8月22日 (日)

屁理屈男=原口一博

小沢一郎の民主党総裁選への出馬について、起訴される可能性のある人物が代表・首相になることは問題だという批判が出ているのに対し、原口一博総務大臣は「推定無罪が民主主義の原則だ」と述べ、立候補に問題はないと主張している。

 

小沢一郎が批判されているのは検察審査会による審査が行われているからだけではない。「政治とカネ」を巡って、土地取得資金の出所や、旧新生党・旧新進党を解散したときに残った政治資金をわたくししたのではないかなどの疑惑に対して明解な説明をしていないからでもある。

 

身辺にさまざまな疑惑があるにも関わらず、一向に説明責任を果たそうとしない人物が党の代表や、ましてや首相になるのがふさわしくないのは誰にでもわかることだ。

 

この程度のことがわからない原口一博はとても頭が悪いし、それを変な理屈で正当化しようとするのは恥の上塗りだ。このような不適格な人物が大臣を務めていることはとても嘆かわしい。国民の政治不信はますます深まるばかりだ。

2010年8月20日 (金)

国民不在の権力闘争に明け暮れる民主党

鳩山前総理が軽井沢の別荘で主催した“研修会”に小沢一郎が出席し、民主党総裁選への出馬を検討すると発言した。鳩山派と連携して多数派工作をしたうえで民主党総裁・総理大臣の座に着こうとする権力欲むき出しのふるまいだ。とてもほんの数か月前に自らの「政治とカネ」問題で引責辞任したばかりの人間のすることとは思えない。

 

一方、菅総理はこのような不埒なふるまいに対してガツンと言うこともできず見て見ぬふりをしている。参院選での消費税をめぐる発言で支持率を落としたことをまだ気に病んでいるのだろうか。一国の総理を務める人間がそんなことをいつまでもくよくよしているようでは頼りない。済んだことはカエルの面にしょんべんで忘れて、今日本が直面している問題の数々をどう解決していくのかに持てる能力のすべてを使ってもらいたい。

 

それにしても、一向に力強さを見せない景気の足取りに国民が不安を抱えて生活しているというのに、自分たちがどうすれば権力を奪還できるかということばかりを考えて行動している小沢一郎と鳩山由紀夫の浅はかさには悪寒がする。

 

ここまで下衆な人間がいったん失脚したはずなのにいまだに強い影響力を保っている民主党という組織はいったいどこまで無能で不見識な人間の集団なのか。まともな神経を持った人間は民主党には1人もいないのか。

2010年7月24日 (土)

人品卑しい鳩山由紀夫、小沢一郎

前総理大臣の鳩山由紀夫と前民主党幹事長の小沢一郎が、消費税の議論を持ち出したせいで民主党は参議院選挙に敗北したと、菅直人総理を公然と批判している。何と人品卑しいことか。

 

そもそも鳩山政権の普天間問題迷走と、鳩山+小沢のダブル政治資金スキャンダルのせいで政権支持率が10%台まで落ち込んだのだ(もちろんバラマキなど政策がひどいせいもある)。2人が辞任して菅直人が総理に就任して一気に支持率を挽回し60%台に回復した。確かに参院選での消費税をめぐる菅総理の発言は拙劣で、支持率に悪影響を及ぼしたのは間違いないが、それでも鳩山政権末期よりははるかに支持率を回復している。民主党にとっては救世主、功労者といってもよいくらいだ。

 

政党を民間企業に例えれば、党代表は社長、幹事長は副社長だろう。前社長と前副社長がそろって自分たちの後任である現社長の悪口を公の場で言う会社なんてありえない。そんな会社がもしあったら顧客や取引先の信用を失ってすぐに破綻してしまうだろう。

 

もし現社長の経営方針に異論があるとしたら、本人に直接こっそりとアドバイスするのがまともなやり方だ。まして前社長と前副社長の経営がめちゃくちゃだったために会社が傾いていたところで後任を引き受けた人に対して、サポートするどころか足を引っ張るなど言語道断だ。このように考えれば鳩山と小沢のやっていることがいかに利己的で下劣かわかるだろう。

 

鳩山由紀夫と小沢一郎は、自分たちの仕出かした不始末の落とし前も結局のところつけていない。それを棚にあげて菅直人のミスをあげつらうことで、自分たちの責任問題を過去のものにしてしまおうとしている。なんとも悪辣な連中であることよ。小沢一郎を次期総理になどと言っている人間も民主党にはいるようだが、気は確かか。

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