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2007年9月

2007年9月29日 (土)

国連のお墨付きがあれば正しいのか

民主党はインド洋での日本自衛隊による給油活動について、国連決議がないことを理由として反対を続けている。しかし、国連イコール正義ではないことの認識が民主党には不足している。というか、外務省出身議員も複数いる民主党がそんなことを知らないわけはなく、知らないふりをして給油活動を政局の材料にしていると言わざるを得ない。

国連をあたかも公正無謬で国際社会の公益を保証する機関であるかのように考えている人も多いようだが、その実態は各国の利害がむき出しでぶつかる、たいへん見苦しい場なのである。各国の代表は自国の国益を背負っているので、簡単に妥協するわけにはいかない。自国の利益を極大化するために詭弁を弄し、駆け引きをするのが国連だ。

そんな国連が担保しているのは、せいぜい手続的正義に過ぎない。つまり、多数の国が自由に意見を主張し、時間をかけて議論した結果、適正な手続を経て決定された結論であれば、最低限、後から不正だと非難されることはないというだけのことだ。

民主党の主張は、後ろ指をさされないように全体的な雰囲気とか多数の意見に従っておくという日本人の行動様式を反映したものなので、支持する人も多いかもしれない。しかし、国連が絶対的に正しいわけではないことは知っておくべきだ。

2007年9月20日 (木)

教育問題の源流

最近、教員免許の更新制とか教員の再研修などで質を確保する議論が盛んに行われている。近年になって教員の質が落ちたのかどうか、どうやって客観的に確かめるのかわからないが、状況として不適格教員が増えた可能性は高い。

 

30年位前までは、教員は聖職のひとつとして尊敬されており、児童生徒の模範となりうると自他共に認めるような人材が多く教員になったものだった。学生として優等生であった人が、高い使命感を持って教員という職業を選んでいたのだ。

 

ところが、1970年代ころから、日教組は教員を労働者の一種と明確に位置づけ、労働者としての権利を主張したのだ。たしかに教員もサラリーマンの一種でありこの主張は形式的には正しいので、教員は聖職者ではなく労働者なのだという認識が教員・保護者・児童生徒の間に広くいきわたることとなった。その結果、「でもしか」教員のような能力・使命感の低い教員が大量に発生することになった。

 

このプロセスにはひとつ大きな欠落があった。教員が労働者の一種に過ぎないというなら、学校もサービス業の一種に過ぎないと位置づけ、市場メカニズムに組み込まれるべきだったのだ。ところが、学校は公的な機関であり市場メカニズムには任せられないものという考えだけが残ってしまったため、質の低い教員が淘汰されることなく、雇用の安定にあぐらをかく状況になってしまった。

 

教員になる入り口の敷居が低くなったのに、不適格な教員の出口がない。それが現在の学校なのである。

 

したがって、不適格教員の問題を解決するためには、淘汰のメカニズムが働くように制度を改革することが必要である。どんな企業や団体でも、適材適所の人材配置をすることは基本である。学校だけがその例外である必然性はない。

2007年9月17日 (月)

総理大臣という職業

最近の歴代総理大臣と総理大臣になる可能性の高い面々はすべて政界2世、3世ばかりだ。職業選択の自由が憲法で保障され、本人の意思と能力と適性によって自由に職業につける現代にあって、これほど世襲制が根強いのはどういうことか。

1つの可能性は、総理大臣という職業は、皇族か宗教的な儀式を行う人のような、現世的な利害関係や合理主義を超越した存在であるというものである。特定の家系で幼少の頃からその環境で育った者でなければ、職責を全うするのに必要な品位や風格を備えることができないため、世襲にする。

もうひとつの可能性は、総理大臣は実は賎業で普通の人はなりたがらないため、やむを得ず特定の家系の人々がその責を果たしているというものである。人の嫌がる職業だが誰かがやらなくてはならないので、それを務める人は「社会的地位が高い」ということにしておいてあげるという社会の知恵である。

3つめの可能性は、誰でも務まる仕事のわりに報酬や社会的地位が高いため、経験者が「自分の子や孫もぜひ就かせたい」と考え、お膳立てを仕組んでおくというものである。もちろん必ずなれるようにはできないが、可能性が高くなるようにプロセスを設計することは権力者ならできるかもしれない。

私は総理大臣を間近で知る機会はないので、この3つのどれが正解か断定はできないが、少なくともいずれの要素もあるような気はしている。

なお、誤解のないように付け加えれば、私は、総理大臣が上に挙げた3つのような職業であるべきだと考えているわけではない。多数の中から選ばれた、抜きん出た知性とリーダーシップを兼ね備えた人材が就くべき職業だと考えている。

2007年9月 8日 (土)

英語力で知的能力が測れるか

高校でも大学でも、入試科目に必ずあるのが英語だ。文系・理系を問わず必須科目なので、受験を控えた学生なら誰でも勉強せざるをえない。一流校と言われる学校に入ろうとすれば、必須科目である英語で高得点を取ることは必要条件である。

一方、国際化といわれて久しく、商社でなくても海外転勤を命じられるサラリーマンも珍しくないご時勢なので、英語ができるに越したことはない。しかし、学校でたくさんやらされた割には英語が使えないと思っている人は多い。

言語学の研究成果によると、母語(普通の日本人なら日本語)の習得には、脳に生まれつき備わっている言語機能が働くので、努力しなくても、すべてを教えてもらわなくても、自然に身につくそうだ。

ところが、大きくなってから他の言語(外国語)を身につけようとしても、母語習得のときに働いた脳の機能はもはやなくなっており、一般的な知的能力(記憶力、論理力、想像力など)を駆使して覚えるため大変な努力が必要なうえに、完璧にマスターすることはできない。およそ7~8歳までの感受性期を過ぎるともはや母語と同じ水準にまで外国語を習得することはできなくなるという。日本では英語は中学1年(12歳)から学習を始めるので、感受性期は過ぎている。

学校でやらされた英語は実用的なスキルとしてはあまり役に立たないにも関わらず、入学試験で重視されるのは、英語力はこうした一般的な知的能力に比例する(知的能力の指標となる)と考えられているからだろう。つまり、英語ができる学生は地頭(ぢあたま)が良いと考えているわけだ。

だとすると、帰国子女で感受性期に母語と同様に英語を身につけてしまった人が英語の試験で高得点ができるとしても、それは純粋に英語力を測定しているだけであって、一般的な知的能力を測定していることにはならないことになる。われわれは漠然と「帰国子女はずるい」とか「得をしている」と妬んだりするが、言語学的にも根拠がないわけではないのだ。

ちなみにアメリカでは大学入試に英語(彼らにとっての母語)の試験はあるが外国語の試験はない。英語でほとんどの学問もビジネスもできてしまうという恵まれた環境もさることながら、移民の国で英語以外の言語を使える学生が多いので、外国語の成績を知的能力の指標として使うことに無理があるためではないだろうか。

それにしても、どうせ多大な量力を費やして勉強させるのなら、もっと実際に外国人とのコミュニケーションの道具として使えるような生きた英語を教えてもらいたいものだ。

2007年9月 3日 (月)

疑わしい“無農薬”野菜

いわゆる無添加食品などを売る健康食品店に無農薬野菜というものを売っていることがある。特段外見は普通の“有”農薬野菜と変わらず、値段は5割くらい高かったりする。私はこういう“無農薬”野菜は疑わしいと思っている。

自分で野菜を育てたことがある人ならわかるが、まったく何の薬も使わなければ、特に葉物など、すぐに穴だらけになってしまう。人間にとって美味しくて、しかも、柔らかくてアクのない野菜であれば、もちろん昆虫たちにとっても美味しくて柔らかくて、アクがないのである。

そういう絶品の野菜が薬なしに、虫食いのない完璧な状態で店頭にたくさん並ぶというのはほとんど信じ難い。もし薬なしで虫食いを完全に防止しようと思ったら、野菜の種が発芽した日から、一日中野菜の傍にいて、目を皿のようにして虫を見張り、見つけ次第捕殺する作業を続けなくてはならないだろう。もちろん商業ベースに乗ることではない。

おそらく“無農薬”とは、農薬取締法に規定された「農薬」は使っていません(それ以外の薬は使っているかもね)ということなのではないか。

2007年9月 1日 (土)

アメリカのうまい食べ物

アングロサクソン民族は、伝統的には美食に強い関心がないらしい。関心がないどころか、美味を探求するのは堕落だと考えているという話も聞いたことがある。

通常、グルメの対象となるのは、フランス、イタリア、日本、中国などの料理であって、イギリスやアメリカの料理について薀蓄を傾けるということはまずない。

それではジャンクフードで世界に冠たるアメリカにはうまいものはないのかというと、そうでもない。

そのひとつは、アイスクリームだ。

近年、日本でもプレミアム・アイスクリーム(ハーゲンダッツなど)が一般化しコンビニでも買えるようになったので、まともなアイスクリームにありつくことが容易になった。しかし、十数年くらい前までは、アイスミルクとかラクトアイスと呼ばれる、牛乳や卵を少ししか使わずに、アイスクリームらしく仕立てたものが主流だった。

これに対し、アメリカではこのようなまがい物は探しても見つからないくらいで、真っ当なアイスクリームがどこでも手に入る。アイスクリーム以外はやたらに甘くて大味なので、アメリカのデザートはアイスクリームと決めている。

もうひとつのうまい物は、プライムリブ・ステーキである。日本ではローストビーフにする上等な部位の牛肉を、惜しげもなく1枚500gぐらいのステーキとして食べるのである。

よく輸入牛肉は硬くて味わいがないと言われるが、その主な原因は肉を焼きすぎることにある。外国の牛肉は、脂肪分が少なく健康的だが、赤味ばかりなので焼きすぎると確かに硬くなってパサパサしてしまう。あれはレアかせいぜいミディアム・レアで食べるのが正しい。そうすれば決して硬くはないし、牛肉本来のうま味がしっかりと味わえる。生に近い牛肉を食べることに抵抗のある人もいるかもしれないが、欧米人の刺身に対する偏見(最近は少なくなってきた)と同じようなものだ。

特にプライムリブは柔らかく、ホースラディッシュとシンプルなソースで食べるのも刺身に通じるものがあって、日本人好みだ。

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