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2007年9月17日 (月)

総理大臣という職業

最近の歴代総理大臣と総理大臣になる可能性の高い面々はすべて政界2世、3世ばかりだ。職業選択の自由が憲法で保障され、本人の意思と能力と適性によって自由に職業につける現代にあって、これほど世襲制が根強いのはどういうことか。

1つの可能性は、総理大臣という職業は、皇族か宗教的な儀式を行う人のような、現世的な利害関係や合理主義を超越した存在であるというものである。特定の家系で幼少の頃からその環境で育った者でなければ、職責を全うするのに必要な品位や風格を備えることができないため、世襲にする。

もうひとつの可能性は、総理大臣は実は賎業で普通の人はなりたがらないため、やむを得ず特定の家系の人々がその責を果たしているというものである。人の嫌がる職業だが誰かがやらなくてはならないので、それを務める人は「社会的地位が高い」ということにしておいてあげるという社会の知恵である。

3つめの可能性は、誰でも務まる仕事のわりに報酬や社会的地位が高いため、経験者が「自分の子や孫もぜひ就かせたい」と考え、お膳立てを仕組んでおくというものである。もちろん必ずなれるようにはできないが、可能性が高くなるようにプロセスを設計することは権力者ならできるかもしれない。

私は総理大臣を間近で知る機会はないので、この3つのどれが正解か断定はできないが、少なくともいずれの要素もあるような気はしている。

なお、誤解のないように付け加えれば、私は、総理大臣が上に挙げた3つのような職業であるべきだと考えているわけではない。多数の中から選ばれた、抜きん出た知性とリーダーシップを兼ね備えた人材が就くべき職業だと考えている。

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