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2007年9月 8日 (土)

英語力で知的能力が測れるか

高校でも大学でも、入試科目に必ずあるのが英語だ。文系・理系を問わず必須科目なので、受験を控えた学生なら誰でも勉強せざるをえない。一流校と言われる学校に入ろうとすれば、必須科目である英語で高得点を取ることは必要条件である。

一方、国際化といわれて久しく、商社でなくても海外転勤を命じられるサラリーマンも珍しくないご時勢なので、英語ができるに越したことはない。しかし、学校でたくさんやらされた割には英語が使えないと思っている人は多い。

言語学の研究成果によると、母語(普通の日本人なら日本語)の習得には、脳に生まれつき備わっている言語機能が働くので、努力しなくても、すべてを教えてもらわなくても、自然に身につくそうだ。

ところが、大きくなってから他の言語(外国語)を身につけようとしても、母語習得のときに働いた脳の機能はもはやなくなっており、一般的な知的能力(記憶力、論理力、想像力など)を駆使して覚えるため大変な努力が必要なうえに、完璧にマスターすることはできない。およそ7~8歳までの感受性期を過ぎるともはや母語と同じ水準にまで外国語を習得することはできなくなるという。日本では英語は中学1年(12歳)から学習を始めるので、感受性期は過ぎている。

学校でやらされた英語は実用的なスキルとしてはあまり役に立たないにも関わらず、入学試験で重視されるのは、英語力はこうした一般的な知的能力に比例する(知的能力の指標となる)と考えられているからだろう。つまり、英語ができる学生は地頭(ぢあたま)が良いと考えているわけだ。

だとすると、帰国子女で感受性期に母語と同様に英語を身につけてしまった人が英語の試験で高得点ができるとしても、それは純粋に英語力を測定しているだけであって、一般的な知的能力を測定していることにはならないことになる。われわれは漠然と「帰国子女はずるい」とか「得をしている」と妬んだりするが、言語学的にも根拠がないわけではないのだ。

ちなみにアメリカでは大学入試に英語(彼らにとっての母語)の試験はあるが外国語の試験はない。英語でほとんどの学問もビジネスもできてしまうという恵まれた環境もさることながら、移民の国で英語以外の言語を使える学生が多いので、外国語の成績を知的能力の指標として使うことに無理があるためではないだろうか。

それにしても、どうせ多大な量力を費やして勉強させるのなら、もっと実際に外国人とのコミュニケーションの道具として使えるような生きた英語を教えてもらいたいものだ。

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