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2007年12月

2007年12月18日 (火)

サラリーマンで出世する方法

1.上司に可愛がられること

 サラリーマンはどんなに仕事ができたとしても、上司から評価されて、昇進させようと思われなければ出世の役には立たない。むしろあまりにできすぎると上司が警戒心を抱いて疎んじられるおそれすらある。基本は滅私奉公、相手に合わせることである。これに尽きるといってもいいのだが、どうすればいいかを以下にもう少し具体的に考えてみる。 

2.報・連・相をこまめにすること

 管理職は部下の仕事ぶりがどうなのかが大変気になるものだ。部下の仕事いかんによって自分の業績も左右されるのだから無理もない。そうした上司の不安を解消してあげることが大切だ。 

3.上司に逆らったり、批判しないこと

 イエスマンに徹することと言い換えてもいい。ごくまれに度量の大きい上司がいて、部下がイエスばかり言っているとかえって怒る場合もないとはいえないが、ほとんどの凡庸な上司は自分の考えに賛同してくれる部下を高く評価するものだ。 

4.上司を楽させること

 あなたの上司はたいていの場合中間管理職であるから、上と下に挟まれていろんな仕事を抱えている。言われた仕事を期日までに質・量ともにきっちりやり遂げるのはもちろん、余裕があれるときには上司に先回りして必要と思われる準備をやっておくとよい。上司はいちいち気を回したり細かく指示したりせずに済んでとても楽ちんだ。 

5.上司の趣味に合わせること

 上司がゴルフや釣り、マージャンなどが趣味で、会社の人間とも一緒にやりたいと思っているようなら、万難を排して一緒にやるべきだ。プライベートでの付き合いを深めることができれば、職場だけの付き合いの同僚たちより一歩も二歩も有利な立場に立てる。 

6.もちろん不祥事など起こさないこと

 法令や社内規則への違反、借金や異性関係のトラブルなど、論外である。 

私自身はどうしても「滅私」ができない。だからあまり出世しない。出世を人生のプライオリティにすることができないのだから、くやしいがそれができる人間に負けても仕方がない。

(その2へ)

2007年12月10日 (月)

チェリビダッケのブルックナー・交響曲第9番を聴く

860 チェリビダッケの演奏は、テンポが異様なほどに遅いことで有名だそうだが、私はブルックナーの交響曲第9番でそれを初めて聴いた。確かに遅い。ブルックナーの第9番は他にインバルとバレンボイムのCDを持っているが、それらと比べてみなくても、チェリビダッケの遅さははっきりとわかる。 

なぜチェリビダッケはこんなにも遅いテンポで演奏したのだろうか。 

彼は生前レコードを拒否していた。演奏家と聞き手とが時間と空間を共有して可能となる一回限りの経験こそをかけがえのない価値と考えていたのだろう。たまに良い演奏会に出会うと、そこで鳴っている音楽に終わりが来ないことを祈りたくなることがある。鳴っている音の一つ一つの価値と、それが瞬間に消えてしまうことのはかなさとがそんな気持ちにさせる。 

チェリビダッケの演奏では、楽譜に書かれている音符の一つ一つをしっかりと聞き手に届けようとしているように思われる。同世代の指揮者でよく対比されるカラヤンの演奏が、快適なスピードで走行する車窓から美しい景色を次々に見せてくれるようなものだとすれば、チェリビダッケは、山道を一緒に歩きながら咲いている花や落ちている石の一つ一つを説明してくれるようなものだ。 

音楽の専門的な訓練を受けた人なら快速に飛ばす車窓からでも音符の一つ一つを聞き取ってその意味に思いを馳せることもできるかもしれないが、一般の聞き手はそういうわけにはいかない。一般人にもついていけるスピードで一緒に歩いてくれれば、よくわかる。チェリビダッケの演奏で、これまで聞き取れなかった音がたくさん聞こえた。

一方で、音楽には生理的に快適だと感じるテンポがある。チェリビダッケの演奏はそのようなテンポの幅からは逸脱している。音の一つ一つの意味をわかるように演奏することを優先し、生理的な快感は後回しにしている。好みの分かれるところだろう。 

しかし、遅い分、至福の時間はより長く続くのである。何度でも聞き返せる録音ではなく、一回限りの生演奏なら、遅さは聞き手にとって喜びであるかもしれない。

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