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2008年2月

2008年2月22日 (金)

真に科学的で患者のためになる医学

「新しい創傷治療」というWebサイトを長年愛読している。外科医が作っているサイトで、外傷を早く・痛まず・きれいに治すために、傷口を消毒せず乾かさない治療法(湿潤治療)を提唱し続けている。 

このサイトに出会ってから怪我らしい怪我をしたことがないので、効果のほどを自分で体験することはできていない。それなのにこのサイトには惹きつけられてきた。

その理由は、作者(夏井氏)の徹頭徹尾理論的で実証的な態度にある。傷口は、まず消毒薬で消毒し、ガーゼを当てて傷口から出る浸出液を吸わせて乾かすという、従来の治療方法が科学的には何の根拠もないことをきわめて明快に説いている。 

夏井氏がこのサイトを開設し湿潤治療を提唱しはじめて最初の数年間は、大多数の同業者(外科医)たちから無視されたり変わり者扱いされていた。しかし、著書が出版され、同調する外科医も増えてきて、ようやく風向きが変わってきたようだ。最近では日本中の医師会や大学などで講演会にひっぱりだこにすらなっている。 

この経緯をサイトを通じてウォッチしていた私としては喜びに耐えない。そして、ピロリ菌が胃炎を起こすことを発見してノーベル賞を受賞したオーストラリアのバリー・マーシャル博士(ヨーグルトのCMに出ていた)とロビン・ウォーレン博士のことを思い起こす。 

強酸性の胃液の中では細菌は生存できるはずがない。胃炎はストレスによって引き起こされる。この2つの科学的には証明されていない思い込みが長年医学界を支配していた。しかし、両博士は思い込みに惑わされることなく、自分自身に人体実験も行って、偉大な発見に到達した。 

先入観にとらわれず原因を正しくつきとめて、患者にとって最善の治療法を提供したいという、真に科学的で患者のためを考えた医学を実践している一人の医師の存在を知ることができるのがとてもうれしいのだ。

2008年2月19日 (火)

「ベートーヴェンの交響曲」(金聖響・玉木正之)講談社現代新書

Photo 音楽を演奏する側がどんなことを考え、どんな思惑を持って演奏に臨んでいるのかの一端がうかがえて面白い。 

「ベートーヴェンの交響曲」と題する本を上梓するくらいだから、最初から最後まで9曲の傑作をものした作曲家に対する敬意に満ちてはいるが、決して無難な意見に終始しているわけではない。 

相対的に不人気な2番に強い思い入れがあり特に4楽章は3番のそれよりも素晴らしいと言わんばかりだったり、3番3楽章の有名なホルンのトリオについて「何を表しているのか、私にはわかりません。」とあえて言ったり、3番4楽章の第5変奏を「ダサイ」と斬ったり。9番の4楽章にも「不要な部分がある」と言っている。

6番のオーケストラ・アンサンブル金沢とのCDでノン・ビブラート奏法の弦楽器を音楽評論家に「気持ち悪い音色」とけなされたことではいたく傷ついているようだ。「個人的な感想文でなく、誰もが納得のいく普遍的な批評や評論に昇華されるようお願いします。」とまで書いている。このコメントはごもっともだ。演奏批評は、根本的には主観的な感想である。ただ好きだ・嫌いだというだけなら素人にでもできる。 

8番のいわゆる古典回帰に関連して、音楽以外の文化史では「ルネサンス-マニエリスム-バロック-ロココ-ロマン主義」という流れなのに対して、音楽史では「ルネサンス-バロック(ロココ)-古典-ロマン派」であるという比較は勉強になった。 

音楽以外の文化史で古典といえば古代ギリシア・ローマだが、この時代の音楽は残っていないので、音楽史ではハイドン・モーツァルトが古典ということになる。1000年以上離れた時代のものを同じ「古典」という言葉で表しているのだが、普通、美術史と音楽史とを並べてみることはしないので、はっきりとはその違いに気づかずにいる人は多いのではないか。 

全体として、演奏家が音楽を言葉で語ることの危うさに対する認識もしっかりと持ったうえで、聞き手に何を聞き取って欲しいかがよく伝わってくる。 

惜しむらくは紙幅の制約があってのことだろうが、5番の3楽章など、さらっと流されてしまったところがある。メリハリをつけようとしたのかもしれないが、すべての楽章についてもう少しだけ丁寧に語って欲しかった。 

ちなみに、私がCDでよく聞くのは4番と8番である。

2008年2月 6日 (水)

変な名前の学部が増えたね その2

最近また気になる変な学部名を見つけた。 

そのひとつは、「未来科学部」というもの。前回、現代○○学というのは変じゃないかと指摘したが、未来○○学も同様にあやしい。EXPOなんとかの展示館の名称のようでもある。

ほとんどの学問は、過去(事実)を分析することで未来につながる知見を得ようとするものだろう。わざわざ「未来」と銘打つことにどれほどの意味があるのかはなはだ疑問である。

もうひとつは、人間文化共生学部というもの。企業の経営理念や自治体のスローガンには「共生」は良く使われる言葉だが、学問としてあるのか。

細分化され袋小路に入ってしまった現代の学問分野を再統合して全体性を再生させようとする、いわゆる学際の動きはあるかもしれないが、これまた前回 指摘したように、そういう先進的・野心的な学問的な挑戦をするのに十分な資源があるとは思えない大学にこういう学部が設置される傾向がある。

日本の大学は、通常、入学する時点で専攻を決めなくてはならない。しかし、社会経験もなければ大学で勉強する学問の内容についてもほとんど知識のない高校生に出願の時点で専攻を決めさせるのは、一生の進路を決定してしまうかもしれないことを考えると、酷な面がある。まして、こういう得体の知れない学部を選ばせることにどういう意味があるのか。

どうせ学部レベルで学ぶ内容の専門性なんてたかが知れているのだから、無理に最初から○○学部を選ばせるのではなく、教養学部か文理学部とでもしておいたらどうか。入学してから入門レベルの授業を受けてみて専攻を決めればよい。単科大学はこういうわけにはいかないが、総合大学なら総合性を生かすためにも入り口はひとつにするべきだろう。

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