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2008年6月

2008年6月30日 (月)

テイカカズラはいかが

Vfsh0027_2 テイカカズラをご存知だろうか。

 

つる性の植物で垣根などに巻きつく。5~6月にかけて白い可憐な花を咲かせる。5弁の花びらがスクリューのようにねじれているところが特徴だ。芳香が十数メートル離れたところまで漂う。

 

テイカカズラを知ったのは、イタリアのフィレンツェ近郊の住宅街だった。街路樹に巻きついて花が芳香を放っていた。街区すべての街路樹に同じように花が咲いていたので、道がずっと芳香に包まれていた。

 

そのときは白い花と強い芳香からジャスミンだと思い込んでいた。同じ植物をぜひ自宅にも植えたいものだと思って帰国後探していたのだが、店頭でジャスミンを見ると違っていた。ネットでジャスミンの種類を検索していて偶然それがテイカカズラだったのを発見した。テイカカズラはキョウチクトウの仲間で、ジャスミンではない。なんと日本原産の植物にイタリアで出会っていたとは。

 

日本原産の植物なので、ほとんど手間をかけなくても健全に育つ。病虫害はほとんどない。常緑なので花が終わった後も緑が見られる。秋には細長いさや状の実がなり、タネで増やすこともできる。

2008年6月29日 (日)

電波時計はいい

Img10171041102 時計が合っているかどうか心配しなくていいのは助かる。

 

時計はいうまでもなく計測機器の一種であるから、正確であるほどいい。かつては、時計の正確さはメカそのものの精度に求めていた。機械式時計の頃は、時計をしょっちゅう合わせるのが普通だった。だから、クオーツ時計が出て、1か月に数秒しか狂わないと聞いたときは技術の進歩に感動を覚えた。

 

しかし、今や日本標準時を送信する電波を受信して自動的に合わせる電波時計によって、メカの精度はほどほどで間に合う。

 

10年ほどまえまではあまりデザインの良い電波時計がなかったので、1台だけ他の時計をこれに合わせる家庭内の標準時計のようにして使っていた。アナログの電波時計も商品化され、家中の時計を電波時計に置き換える計画が進行中である。

2008年6月26日 (木)

野生動物のいない北朝鮮

以前、北朝鮮に詳しい人から聞いた話である。

 

北朝鮮には、野生動物がほとんどいない。野良猫、野良犬はもちろん、鳥の鳴き声を聞くこともほとんどないという。なぜなら飢饉の時に食べられそうなものはすべて獲って食べてしまったからだ。

 

現代の民主主義国家では飢饉は起きないという経験則がある。20世紀後半以降に起きた飢饉は、天災や異常気象が真の原因ではなく、外国や国連からの支援食糧が飢えた国民に配分されず、特権階級に独占されたことが原因なのだ。

 

したがって、飢饉が起きたということは北朝鮮が民主主義国家でないことの傍証となる。(北朝鮮が民主主義国家でないことくらい自明であり、さすがの朝日新聞でもいまさら強弁しはしないだろうが。)

2008年6月25日 (水)

無教養な「死に神」コラムにみる朝日新聞の浅薄さ

法相を「死に神」呼ばわりした朝日新聞に対して非難轟々となっているという。コラムはasahi.comでは読めないので、問題の記事を引用しておく(「週間サトウ 佐藤光一blog!より転載)。

 

「素粒子」(2008618日)

 永世名人 羽生新名人。勝利目前、極限までの緊張と集中力からか、駒を持つ手が震え出す凄み。またの名、将棋の神様。

 

 永世死刑執行人 鳩山法相。「自信と責任」に胸を貼り、2カ月間隔でゴーサインを出して、新記録達成。またの名、死に神。

 

 永世官製談合人 品川局長。官僚の、税金による、天下りのためを繰り返して出世栄達。またの名、国民軽侮の疫病神。

 

確かにひどい。値段をつけて人様に買っていただくものに載せる文章ではない。

 

以前このブログの記事 でも朝日新聞は浅薄だと書いたが、その感をまた強くした。

 

国会は刑法を至近年においても累次改正しているが、死刑の規定は変更されていない。つまり、国権の最高機関である国会の意思は死刑の存続である。そして、司法権を担う最高裁判所も刑法の規定に基づいて死刑判決を出している。

 

三権のうち二権までが死刑制度を支持しているのだ。さらに、世論調査でも多数の国民が死刑制度を支持している。

 

それなのに、法律と裁判で決められ多数の国民に支持されている職務を行政が独断で怠るとしたら、その方がよっぽど問題だ。

 

朝日新聞の河谷文夫記者は、この程度のことにも考えが及ばずに法相を「死に神」呼ばわりしたわけである。しかも、くだらない語呂合わせのために羽生永世名人を引き合いに出しているが、羽生名人もいい迷惑だっただろう。なんという考えの浅さ、教養の欠如か。朝日新聞改め浅日新聞としたらどうか。

 

いくら政治権力をチェックするのが報道機関の使命とはいえ、なんでもいいから批判の言葉を投げつければいいというものではない。

 

もっとよく勉強し、考えて、ぴたりとツボにはまった矢を放たなければ報道機関としての信頼が崩れ、結局は政治権力のチェックという役割も果たせなくなってしまうだろう。もっとも、既に私は朝日新聞を信頼していないが。

2008年6月23日 (月)

理屈庵オリジナル和英辞典

取り皿 bird plate

「取り皿」とは、複数人分の料理がひとつに盛って出される場合に、一人ずつに取り分けるために使う皿のことである。洋食では通常あらかじめ一人分ずつ給仕されるので、ぴったり該当する英語表現はない。そこで少し意訳してみたものである。

 

〔例文〕

Would you give me another bird plate? もう1枚鳥皿をくれますか?

 

アマリリス surplus squirrel

ちょうど春から今頃の初夏にかけて咲く花である。辞書を引くと英語では「naked lady」というとんでもない名前がついている。こんな言葉を口にしたらセクシュアル・ハラスメントにもなりかねない。いくらなんでもひどすぎるので、意味が正確に通じるように意訳してみたものである。

 

〔例文〕

Wow! What a beautiful surplus squirrel! まあ! なんてきれいな余り栗鼠でしょう!

 

似たもの夫婦 cooked couple

これも英語ではぴったり該当する表現がない。おそらく英語文化圏では男女が違っているからこそ結婚する意義があるのであり、「似たものどうし」という把握の仕方をすることがないのだろう。そこで違う文化圏の人達にも意味を正確に理解してもらえるように意訳してみたものである。

 

〔例文〕

You guys are a real cooked couple. 君たちは本当に煮た物夫婦だね。

2008年6月20日 (金)

グリーンピースの恐ろしい権力志向

20084月にグリーンピースが運送会社の倉庫に侵入し貨物を盗んだ行為について、グリーンピースは「横領の証拠であり、窃盗罪は成立しない」と主張していたが、このほど青森県警に犯人が逮捕された。けだし常識的で妥当な警察の措置である。

 

日本は法治国家であって、犯罪の疑いがある場合でも証拠物を押収するためには刑事訴訟法の規定に基づき裁判所の令状が必要だ。令状も法令に基づく権限もない私人が勝手に“犯罪の捜査”と称して他人の住居に入り込み他人の財物を持ち去る行為を許したら、日本中で“自称犯罪捜査中”の人間が他人の敷地や住居に入り込むことを許すことになってしまう。グリーンピースに犯罪の疑いがあるといって、権限のない人間が事務所に入り込んできて、帳簿やパソコンのデータを持ち去ったとして、グリーンピースはそれを許すのだろうか。

 

そもそもこんなことは普通に日本で生活していれば常識でわかることであって、それがわかっていないグリーンピースはよっぽどどうかしている。

 

推測するに、グリーンピースには自分たちこそが正義であって、超法規的な実力行使をやっても自分たちだけは許されるという思い上がりがあるのだろう。国家権力を上回る権力が自分たちにはあるという思い込みと言っても良い。まったくテロリストと変わらない発想であり、実に恐ろしい。

2008年6月19日 (木)

育毛トニックの効果のほどは

今を去ること十数年前、独身寮の洗面所で鏡を見ていた私は、抜け毛が増え、髪の毛の密度が下がって頭皮が見えるようになってきたことに気がついた。これはまずい。何しろ独身寮に住んでいるくらいだからまだ独身で、これから結婚相手を見つけなくてはいけない境遇だったのだし。男の髪が薄くなるのは自然現象であり、それによって女性からのモテ具合に変化が生じるのは理不尽ではあるが、いかに理不尽かをご婦人に説いたところで逆効果にしかなりはしない。


 

L4901301043450 そこで私が頼ったのが花王サクセス薬用育毛トニックだった。花王サクセスブランドには薬用毛髪活性という高級バージョンもあり、当初はこちらも使ってみたのだが、値段を気にして使用量が少なくなりがちだったので、花王サクセス薬用育毛トニックに切り替えた。

 

そして十数年が経過したわけである。その結果やいかに。

 

当時抱いた危機感が現実のものとなっていたら、今頃は歳相応の風格が出ていただろう。しかし実際は、私の頭髪は当時に比べて著しい減少は見られず、その間、なんとか結婚相手も見つかって今日に至っている。

 

その結婚相手からは「禿げたら別れる」という暴言を吐かれているのだが、幸か不幸かこの一方的な宣言の条件節は満たされていない。

 

もちろんこの結果が花王サクセス薬用育毛トニックの効果によるものかどうかはわからない。ただ事実関係を述べただけである。このブログでアフィリエイトはやっていないので、宣伝をしても実入りはない。

2008年6月18日 (水)

taspo(タスポ)は実効性があるのか

Taspo 成人識別カードtaspo(タスポ)が71日から関東でも使用開始される。taspoの実効性については疑問を呈する意見が多い。私も同感だ。 

特に無理があると思うのは、taspoの貸し借りの禁止があくまでもTIOJと会員との間の私契約に基づく債務に過ぎない点である。違反しても民事上の損害賠償請求権がTIOJにあるのみだ。会員が未成年者にtaspoを貸与した事実をTIOJが立証して損害賠償を請求するとは想像できない。 

未成年者の喫煙禁止は公法上の義務であるはずなのに、それは担保されず、民事上の債務にすりかわってしまっているのだ。やはり未成年者の喫煙を実効性を持って禁止するためには、販売業者に年齢確認義務を課す必要があるだろう。 

もうひとつ最近議論されているのはタバコ税の値上げだ。欧州諸国のようにタバコ1箱が1,000円を超えるような値段になればおのずと喫煙は減るだろう。税収が増加した分は医療費にあてればよい。 

タバコの健康への害を自己責任だからほっておいてくれと主張する喫煙者がいる。が、喫煙の結果かかった病気の治療に健康保険を使うのなら、結局非喫煙者に医療費の増加分のツケを回していることになる。自己責任を主張するなら、間接喫煙をさせないことと、医療費は全額自己負担することを徹底してもらいたい。

2008年6月16日 (月)

リッツカールトンも「ノー」と言う

リッツカールトンといえば、高い顧客満足度から、料金が高めにも関わらず業界随一の客室稼働率とリピート率を誇るホテルである。そのホスピタリティの徹底を表して「ノーと言わないサービス」がポリシーだと言われている。 

だから初めてリッツカールトンに泊まったときは興味津々だった。できれば「ノーと言わないサービス」を実体験してみたいものだと思っていたが、かといってわざと無理難題をふっかけて相手を困らせるつもりもなかったので、なかなかチャンスはなかった。

一泊した翌朝、朝食を食べにレストランに行った。ブレックファーストセットにしたのだが、私としてはセットに含まれているジュースはいらないが、その代わりにヨーグルトが食べたい。メニューをよく見てみると、単品の価格はジュースよりもヨーグルトの方が安い。

そこでウェイターに「ブレックファーストセットのジュースをヨーグルトに取り替えてくれませんか?」と尋ねた。単品の価格はジュースよりもヨーグルトの方が安いし、と。ところが、ウェイター氏は、まったく躊躇も熟慮もすることなく、「できません。」と即答したのであった。

私自身業種は違うがサービス業に勤める身として、スマートな客でありたい、一従業員に対して不合理な要求をする客ではありたくない、と常日頃から考えていたので、素直に引き下がった。

そして思った。「なーんだ。リッツカールトンだって『ノー』って言うんじゃん!」

もちろん朝食にヨーグルトを食べられなかったことは不満だったが、一方で、「ノーと言わない」というのがただの神話に過ぎなかったことに少し安堵したのだった。客がどんなに我侭放題無理難題を言ってきても「ノーと言わない」としたら、いったいどうやって実現するのだろうと疑問を感じていたのだ。ところが実態はいとも簡単に「ノー」と言ったので、そこには何の不思議も謎もないことがわかったからだ。

実際には客の要望に対して「ノー」と言っているにもかかわらず、「ノーと言わないサービス」の神話は生き続けているとしたら、リッツカールトンの広報の勝利である。

2008年6月15日 (日)

グレープフルーツとプレーンヨーグルト

Grapefruits わが家では朝食にプレーンヨーグルトを欠かさない。果物にかけて食べている。ヨーグルトと合う果物とそうでないものとがあるが、グレープフルーツはよく合う果物のひとつだ。 

グレープフルーツは、水平に二つに切ってスプーンで果肉をすくって食べるのが一般的な食べ方だろう。しかし、ヨーグルトと合わせるときは、この方法ではしっくりこない。 

外側の皮をむいて、さらに、内側のふさから果肉だけを取り出す。ちょうど夏みかんのようにする。グレープフルーツの原産地のアメリカ人はかんきつ類の皮をむいて果肉を食べる習慣がないので、二つに切ってスプーンで食べるか、ジュースにしてしまうのだろう。実はグレープフルーツもみかんのように手で皮をむいて中味を食べることはやればできるのである。外側の皮をむくときにとても良い香りが辺りに漂うのも楽しい。 

果肉だけにしたものを皿に盛り、その上からプレーンヨーグルトをかける。これだけでも十分美味しく食べられるが、いろどりに欠けると感じる場合は、ブルーベリーソースかイチゴジャムを少しかけてもよい。 

甘くしたヨーグルトに慣れた人は、砂糖を入れたくなるかもしれないが、できれば甘みを足さないで素材の味を味わって欲しい。慣れれば砂糖は必要なくなる。

2008年6月13日 (金)

ヨッフム指揮の「カルミナ・ブラーナ」カール・オルフ

5142thfxn5l_sl500_aa240_ オルフの「カルミナ・ブラーナ」は、演奏効果に富んだ作品なので、テレビや映画などでもよく使われている。インパクトのあるオーケストレーションと美しいメロディーがいっぱい詰まった曲なのだ。全曲を聴いてみれば誰でも聞いたことのあるフレーズに出会うだろう。 

ヨッフムが1968年に録音したCDが安くなっていたので買ってみた。20年以上前に、最初に「カルミナ・ブラーナ」を知ったのはこの演奏のLPだった。録音がやや古いので、CD時代になってからは別の演奏家の新しい録音で買いなおしたのだが、満足できなかった。 

この演奏でのベルリン・ドイツ・オペラのオーケストラと合唱は技術的には完璧とはいえない。普段は完璧すぎる歌唱を聴かせるフィッシャーディースカウですらリズムがずれたり、声が大きすぎて録音がひずんでいるところがある。 

しかし、この演奏はすばらしい。歌心とリズムの躍動感が生き生きとしているからだ。この録音は作曲者オルフのお墨付きを得ている。技術的に完璧でないことは当然わかっていたはずだが、縦の線がそろっていなくても、曲のメッセージを十全に表現しているからこそオルフはお墨付きを与えたのだろう。 

そして、ヤノヴィッツが技術的にも完璧なうえに、美声で「うた」をたっぷりと味わわせてくれる。1960年代にドイツグラモフォンの録音で活躍したソプラノがその実力を遺憾なく発揮している。CDでその魅力がよくわかるようになった。 

以前に挙げたクナッパーツブッシュの演奏と同様、技術的には荒削りでも、生理的な快感を呼び起こす演奏だ。 

CARL ORFF: CARMINA BURANA. Gundula Janowitz, Gerhard Stolze, Dietrich Fischer-Diesukau, Chor und Orchester der Deutschen Oper Berlin, Eugen Jochum. Deutsche Grammophon 447 437-2

2008年6月12日 (木)

肩こりを治す

私は肩こり歴十有余年のベテランだ。三十台後半に入ってからは時々マッサージに行かないと頭痛がするようになってしまった。上手なマッサージを受けているときは極楽だ。肩こりをほぐしてもらう快感は肩がこる人にしかわからない楽しみですらある。

しかし、マッサージというものは一人の技能者を一定時間自分だけのために雇うので、どうしてもお金がかかる。できるだけマッサージを受ける間隔をあけて懐にもやさしくしてあげたいものだ。

肩こりを治す方法をいろいろ調べたり、試してみた結果、効果があった方法をお教えしよう。
 

1.肩をすくめる体操

両肩を強く耳の方向に引き付けて一瞬止め、一気に力を抜いて肩を落とす。これを12回繰り返す。

2.肩を回す体操(前後)

1.と似ているが、肩を引き付けるときに真上ではなく、胸を張って開くように両肩を後ろ上方に引き上げる。そのままの動きで肩を前に回していき、肩甲骨を開き両上腕を近づけるようにしていく。行くところまでいったら、また最初に戻って両肩を後ろ上方に引き上げる。この運動を12回繰り返す。

次に、前後を逆にして12回繰り返す。

3.首のストレッチ(左右)

上体をまっすぐにして、頭を真横(左右どちらか)に傾ける。傾けた側の手で頭の反対側の耳の上あたりを軽く押すようにして引っ張る。首の横の筋肉が伸びて気持ちいい程度に力を入れる。この状態で2060秒静止する。

次に反対側で同様にする。

4.首のストレッチ(前後)

上体をまっすぐにして、頭をがっくりと前に倒し、首周りの力を完全に抜く。両手で後頭部を抱えるようにして軽く押す。首の後ろの筋肉が伸びて気持ちいい程度に力を入れる。この状態で2060秒静止する。

次に頭を後ろにそらして首周りの力を完全に抜く。今度は手を使わないで、2060秒静止する。

5.目を温める

おしぼりを電子レンジで50℃に温め、余分な水気は絞る。ソファか床に仰向けになり、おしぼりをちょうど両目のあたりが隠れるように載せる。おしぼりが冷めるまでそのままにしておく。「めぐりズム蒸気でホットアイマスク」という商品を使えばおしぼりを用意する手間がはぶける。

6.ショルダープレス

フィットネスクラブにある肩の筋肉を鍛えるマシンである。これを10回×3セットやる。
 

1.と2.の体操は比較的どこでもできるので、暇さえあったら1日に何度でもやるとよい。これらの方法をまめにやっているとしばらくマッサージに行かなくても持つ。

2008年6月10日 (火)

タクシー運転手はなぜ接待をしたのか

最近、財務省をはじめとする霞が関の中央官庁の役人がタクシー運転手にビールとおつまみなどの接待やタクシー料金の割戻しを受けていたことが明るみに出て問題になった。 

この報道に接して、「タクシー運転手はなぜ接待をしたのか?」という疑問を持った人は少なくないのではないか。タクシーに乗って接待をしてもらったことなどないのが普通だから、無理もない。 

タクシー接待には次のような背景がある。 

まず、中央官庁の役人はタクシーのヘビーユーザーである。国会質問の答弁案を作成するための深夜残業が頻繁にあり、電車では帰宅できなくなることが多い。なぜ深夜残業になってしまうかというと、翌日の国会質問が前日の晩になってから役所に知らされ、それから答弁案を作成するからである。20時に質問がわかったとして、作成作業そのものに2~3時間かかり、課長や局長の決裁を取るのに1~2時間かかるとすると、できあがるのは23時~翌日2時になってしまう。 

中央官庁はヘビーユーザーなので、霞が関には個人タクシーが多数集まってきて、客待ちの長い列ができる。タクシー運転手は実際に客を乗せるまでに1~2時間も待機することもある。 

それでようやく客を乗せるのだが、役人のうち公務員宿舎に住んでいる人は、比較的都心に近いところが多い。深夜割り増しを入れても3000円程度にしかならない場合も多い。延々と待機して挙句の果てに3000円ではタクシー運転手にとってはがっかりなのである。 

そんな中で、郊外の自宅に住んでいる役人に当たると1回で1万円以上の売上げになることもある。こういう遠距離客にはぜひ固定客になって欲しい。それで、接待するのである。 

まとめると、個人タクシーが遠距離の客に固定で指名して欲しいので接待をしたというわけだ。

2008年6月 8日 (日)

「リーダーシップ論」ジョン・P・コッター

Whatleadersreallydo 昔、組織行動論を勉強したとき、心理学や社会学からビジネスに応用できそうな理論をつまみ食いしたようなものだと思った。つまり、ビジネス組織において何が主要な課題なのかをまず把握して、それを解決するための方法を探るのではなく、既存の理論のうちビジネス組織に応用できそうなものを当てはめただけだったのだ。

 コッターはまず、経営環境が急速に変化するようになったので、旧来の管理手法にのみ依拠する「マネジメント」だけでは不十分であり、組織を適切に動かすためには、「リーダーシップ」によって変革しなくてはならないと説く。

ここで、「マネジメント」とは、計画・予算・ハイアラキー組織・管理によって組織を運営することをいう。これに対し、「リーダーシップ」は、ビジョン・戦略・実行力・やる気が特徴だ。

コッターは、既存学問の理論に依拠するのではなく、組織の中で経営者・管理者が実際にどのような行動を行って、どのような結果を生じているのか、フィールドワークを行って帰納的に結論を導き出している。

成功するリーダーシップとはどのようなものかを分析・記述するのが本書の目的だが、それはとりもなおさず今日の組織において必要とされるリーダー人材になるためにはどのように行動すべきか(=出世する方法)を教える書でもある。

「第3章 上司をマネジメントする」は、思い込みを廃して上司との関係を客観的に捉え、上司と自分自身の行動をマネジメントすることの必要性を説いている。ここに書いてあるようなことは、うまく出世した人たちは他人から教えられなくても敏感に察知して実行してきたことなのだろう。

世の中には、わかっている人はわかっているが、書籍、文書、あるいは口伝によっても表現、記録されていない知恵がたくさんある。本書は、組織を動かすリーダーに必要な知恵を体系化しようとした重要な試みである。

2008年6月 3日 (火)

「春の祭典」ストラヴィンスキー

空前絶後の作品だ。すなわち、「春の祭典」の前に「春の祭典」なく、「春の祭典」の後に「春の祭典」なし。 

ストラヴィンスキーが創り出したこの曲の様式は、模倣・追随を許さない1回限りのものだった。ストラヴィンスキー自身も同じ様式で2曲以上書くことはできなかった。 

ハイドンが完成させた交響曲という様式は、その後100年以上にわたって何十人という作曲家による何百曲という傑作の原型になった。これに対し、「春の祭典」は一時代を画する傑作でありながら、その様式に基づいて他の作品を生み出すことができた作曲家はいない(知られぬ駄作はあるだろうが)。 

私がクラシック音楽を聴き始めた頃、この曲はまだ現代音楽の範疇に入れられていた。今ではクラシックの普通のレパートリーになっている。何十年か生きているとこのように時代の変遷を実感することができる。 

初めてこれを聞いた小学生の頃、モーツァルトやベートーヴェンが好きだった子供として、「何だこれは!? こんなの音楽か?」というのが最初の感想だった。しかし、耳に心地よいメロディーや響きでできている古典派の音楽に比べて、混沌とした無秩序のように聞こえる音は、その意味を解き明かされるのを待っている謎のようにも感じられた。 

謎をわからないままにしておくのが嫌で、無理をして何度か聴くうちに、弦が刻むリズムがだんだん身体になじんできた。歌う曲でもテーマの展開を追う曲でもなく、ただ音を感じることの楽しみ方がわかったのだろう。 

しかし、今日に至るまで生演奏はまだ一度も聴いたことがない。シャープなリズムの演奏を一度聴きたいものだ。

(写真は、ブレーズ指揮クリーブランド管弦楽団と、シモノフ指揮ロイヤル・フィルのCD)

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