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2008年10月

2008年10月29日 (水)

くいだおれ人形がなぜあんなに報道されるのか

大阪道頓堀にあった飲食店「くいだおれ」の看板代わりの人形があっちに行っただのこっちに来ただのがどうしてあんなに報道されるのか。

 

私はたまたま関西に長く住んでいたことがあり、あの人形には若干なじみがあるので、テレビで見かければ「あの人形がね~」という感慨を持たないわけでもない。しかし、大阪と縁がない大多数の日本人にとってはまったくどうでもいいことではないだろうか。

 

だからいちいち動静をフォローして全国ネットで報道する価値があるとは考えられない。飲食店の宣伝に一役買っているだけではないか。電波という有限な公共財を利用していることに伴う責任感が欠如しているマスメディアが多い。

Kuidaore

2008年10月28日 (火)

麻生首相のバー通いはどうでもいい

麻生首相が帰宅前にホテルのバーに頻繁に寄っていることをとやかく言っているマスメディアがある。本当に馬鹿じゃないかと思う。「庶民感覚がわからないのでは」なんて真面目に言っているのか。しかもそれを“敏腕”なんて褒めるメディアまである。

 

麻生財閥の御曹司である首相が庶民感覚など知らずに育ったことは公知の事実である。それに一国の首相ともなれば、出自がどうであれもはや「庶民」ではない。ホテルのバーでなく、路地裏の赤提灯だったら立派な政策が出てくるというのか。赤提灯がいいのなら、そこで酔ってクダを巻いているおやじを首相にすればいいだけのことだ。

 

だいいち、首相でなくてもある程度の地位について大きな仕事をしているような人なら、高級ホテルのレストランでの会食が続くようなことは珍しくない。そんなことを“庶民感覚がない”と批判する記者は、逆に社会常識がないと批判されても仕方がないだろう。

 

まして今は経済危機の状況なのだ。危機の状況分析やとるべき政策についての議論にマスメディアは全力を傾注してもらいたい。

2008年10月27日 (月)

「ダンシング・ヴァニティ」筒井康隆

Dv 筒井康隆を読むのは何年ぶりだろう。まあそんなことはどうでもいいのでおいといて。

 

本作の最大の特徴は、版元によって「反復文体」と名づけられた、同じ場面(正確には毎回少しずつ違う)を何度も繰り返す構造だ。

 

この繰り返しは何なのか? 作者が仕掛けた「からくり」であるのはわかるとして、その意図は。

 

読み進めながら頭に浮かんだのは次のような可能性だ。

 

老人の繰言――作者ももう70代なので自分の老齢を笑うためにわざと老人の繰言を小説の構造に取り入れてみた。

 

ジャズの即興の模倣――ジャズのソロではコード進行が同じでも演奏するたびに違うメロディを奏でる。それを小説でやってみた。

 

リズム――繰り返すことによってある種のリズムのような効果を狙った。タイトルが「ダンシング…」というくらいだからダンス音楽の構造に倣った。

 

多次元宇宙――毎回少しずつ違うので、昔のSFによくあった多次元宇宙を描いているのでは。

 

夢――夢には堂々巡りをして決着のつかないものが多い。本作は夢をテーマにしているので、堂々巡りも夢と同じ構造にした。

 

コンピュータゲーム――これは最後の方で作者が自分でネタばらしをしている。

 

たぶんこのうちのいくつかは当たっているのではないか。

 

精神分析学、ドタバタ、登場人物のキャラクターが戯画的に明確であることなど、いつもの筒井康隆は健在である。

 

時々出てくる白い顔のフクロウのモチーフは映像をはっきり喚起する力を持っており、小説の中で次々に起きる出来事に非現実的なイメージを付け加えているとともに、繰り返しでダレそうになるところで区切りをつける句読点のような効果を生んでいる。

 

作中に出てくるフクロウが歌った「ダンシング・アウル」という歌(といっても歌詞だけだが)が、独特のリズム感を持っている。これも後半にたびたび登場し、場面に華やかさを付け加える効果を出している。

 

キトクロ キトクロ キノクトロ

キクラト キクラト キノクラト

キノ キノ キトロ キノキトロ

カラトロ カラトロ キノカトロ

カクラト カクラト キノカラト

カロ カロ カトロ カロカトロ

 

ぜひ実演を視聴してみたいと思い、だれかがYouTubeにでもアップしていないかと探してみたが、なかった。

2008年10月26日 (日)

マスコミはなぜ排出量取引が好きなのか

読売新聞、朝日新聞などのマスコミは、経団連が排出量取引制度への参加に消極的であることを、あたかも地球温暖化防止に取り組む気がない大企業のエゴであるかのようなニュアンスで報道している。

 

これらの報道には、暗黙の前提として排出量取引制度を導入すれば温暖化ガス排出量が確実に削減されるという思い込みがあるようだ。しかし、排出量取引制度を最初に実施したEUでも、排出量の削減は計画通りには進捗しておらず、排出量取引制度が温暖化ガス削減のための最善の手段であるとは確認されていない。

 

たしかに排出量取引制度は理論的には美しい仕組みだが、市場での実取引になると、投機筋による操作や需要・供給のミスマッチなど非効率な要素が入り込んでくる。金融取引がGDPの大きな部分を占める欧米ならマネーゲームで利益が上がればそれでも良いだろうが、日本経済はもの作りなどの実体経済に大部分を依存しているので、マネーゲームにカネを吸い取られてしまえば経済全体が疲弊することになる。

 

実市場の非効率性を無視して理論的にはこうなるはずだという議論に日本経済を委ねて本当にいいのか。その結果、製造業を中心とした日本の実体経済が衰退したら、読売新聞、朝日新聞はどう責任をとるつもりなのか。それとも彼らはマネーゲームの片棒を担ぐことでおこぼれに預かれる密約でもあるのか。

2008年10月25日 (土)

橋下知事の言い方は大人げないが

Asahi 大阪府の橋下知事が1019日、20日とつづけて「人の悪口ばかり言う朝日新聞のような大人が増えれば日本はだめになる」、「全く愚かな言論機関だ。すぐさま廃業した方がいい」と朝日新聞を批判した。朝日新聞が社説で弁護士としての橋下氏を批判して弁護士資格を返上すべきとしたことに反論したものである。橋下知事の言い方は大人げないが、言わんとすることは理解できる。

 

朝日新聞は、あたかも弱者と立場を共にするようなふりをして皮相な正義感を振り回したり、パターン化した政府批判・大企業批判を長年繰り返したりして、スリムクラブの怪物フランチェンと同じくらい思考停止しているところに特徴がある。問題の本質をえぐったうえで現実的・建設的・中長期的な解決策を示そうとする意思も能力もなく、ただ誰かを悪者に仕立てて非難の言葉を投げつけておしまいである。

 

橋下知事の朝日新聞批判に共鳴して東国原知事も朝日新聞記者に対する批判を表明したそうだが、曲がりなりにも行政の責任者として仕事をしている人にとって、ただ仕事の邪魔をするだけの朝日新聞は腹に据えかねる存在なのだろう。

 

本当に切れる刀ですぱっと切られたのなら潔く負けを認めることもできようが、朝日新聞のようななまくらで急所を外れたところをゴリゴリやられたのではたまらない。

 

タレント知事の場合、マスメディアへの露出が生命線というところがあるので、多少大人げない発言でも出ることのメリットがあるので、比較的ストレートに物が言える側面はあるだろう。それを割り引いたとしても、朝日新聞が道端に落ちている犬の糞よりも害をなす存在であることは間違いない。

2008年10月24日 (金)

「3時間台で完走するマラソン」金哲彦

Sub4marathon 知人に勧められてマラソン出場を目標にランニングを始めた。まったくの初心者なので、手引書を探していて見つけたのが本書だ。

 

新書のフォーマットで運動のハウツー本という内容は珍しいのではないか。運動の説明が文字ばかりではわかりにくいのではと一抹の不安を抱きながら手に取ったが、絵解きが必要な部分はちゃんとイラストや写真が使われており、問題はなかった。

 

それどころか、逆に運動のハウツー本は、一般に絵や写真が多すぎて、理論的な説明が足りないものが多いことに気づかされた。本書は、文章できちんと説明されているので、頭に入ってくるし、記憶に残る。

 

本に持っている運動の本は、写真ばかりが多く、どのような目的でそのトレーニングをするのか、なぜそれが効果があるのか、どういうことに気をつけるべきなのかなどの説明が不十分で、記憶に残りにくい。写真ばかりだとピクチャーメモリーのある人でないと記憶できない。

 

一流選手だけでなく素人の指導にも経験のある著者が懇切に初心者からマラソンで4時間を切るまでの練習方法、食事やけがへの対応方法まで分かりやすく説明している。最後の方にダイエットの方法まで書かれているが、私が持っているダイエット知識とも整合していたので、信頼できると感じた。

2008年10月23日 (木)

「翻訳夜話」村上春樹・柴田元幸

Photo 小説家でありながら翻訳も続けている村上春樹と、村上の語学面のチェックを長く勤めてきた東大助教授(当時)の柴田元幸による翻訳をめぐる対談集。主に学生などの第三者との質疑応答によって構成されている。

 

村上にとって翻訳とは、偉大な先人の作品から学ぶプロセスであり、「極端に濃密な読書」だという。小説を書くのは「我を追求していく」消耗する作業であるのに対し、翻訳は外部にテキストが既に存在しているので比較すれば楽であり、楽しい作業だともいう。創作と翻訳とを交互に行うことで創作の質が上がる。

 

二人の共著者が共通しているのは、翻訳に完全はなく、所詮は訳者の色がついてしまうものだという立場だ。だから自分が本当に訳したいと思うテキストに出会うことが重要だという。それによって、翻訳の作業が楽しめるし、そのテキストを日本に紹介する使命感が出てくる。自分に合わないテキストを嫌々翻訳すると訳文の詰めがいい加減になってしまう。

 

私は文芸作品の翻訳は戯れにも試みたことはなく、実務文書を翻訳したことがあるだけだ。しかし、この有名な二人の翻訳家が語る内容は、私にとっても共感できるか、ないしは、若干の想像力を働かせるだけでああきっとそうなんだなと思えることが詰まっていた。異なる言語の間を橋渡しする翻訳という作業には、実務と文芸とを問わず共通する要素があることが興味深かった。約250ページの新書としてはやや厚手の1冊だが読み終えるのはとても容易だった。著者の訳書の愛読者にとっても楽しめるだろう。

 

なお、翻訳の個別の技術論はほとんど書かれていないので、初学者がテクニックを学ぶための本ではない。

2008年10月22日 (水)

政治家の人材難

マルチ商法企業の支援で議員になった前田雄吉、掛けゴルフや不倫など素行が問題にされた横峯パパ、親から受け継いだ地盤・看板・カバンだけで大臣にまでなった小渕優子など、政界の人材難は明らかだ。麻生内閣の閣僚の大半が2世・3世という異常さには目を覆いたくなる。中小企業なら2世・3世の社長は普通だが、あれは経営権を持っているからバカ息子でも社長にできるのであって、国会議員とはわけが違う。

 

それにしても、有為な人材はなぜ政治家にならないのか。わが身にひきつけて考えてみると、選挙運動がネックになるのではないか。

 

選挙運動では、自分の名前を書いたたすきをかけて、朝、駅頭で頭を下げたり、自分の名前の書かれたポスターをあちこちに貼ったり、チラシを配ったり、車の上にスピーカーを取り付けて自分の名前を連呼したりしなくてはならない。

 

これらの行為のいずれも、普通の人はしない。やれといわれても断るだろう。恥ずかしいからである。親が議員の人は、子供の頃から親がそうしているのを見て育っているので、恥ずかしくないのだろうか。

 

いずれにせよ、選挙ではそういう恥ずかしいことをしないと議員にはなれないので、恥ずかしいことが平気でできる、自尊心の低い人が議員になってしまうのかもしれない。本来、優れた人材を選ぶはずの選挙の過程が、逆に、変な人を選んでしまうという結果になっているのかもしれない。

 

もっとまともな人が政治家になれる仕組みが必要ではないだろうか。

2008年10月21日 (火)

京都市のコンビニ深夜営業規制議論

京都市が地球温暖化ガス排出抑制の一方策としてコンビニエンス・ストアの深夜営業を禁止することを検討している。

 

当然、コンビニ業界は猛反発しているわけだが、この議論、どちらに分があるか。

 

京都市側の主張をまとめると次のようになる。

1.コンビニ深夜営業自粛は、環境にやさしいライフスタイルを見直す象徴。

2.深夜まで人通りの多い繁華街ならともかく、住宅街まで一律24時間営業は必要ない。

 

コンビニ業界側はこう主張している。

1.深夜営業はライフスタイルの変化に対応した結果であって、その逆ではない。

2.女性の「駆け込み寺」や非常災害時のライフラインとして社会に貢献している。

3.流通業全体でもわが国温暖化ガス排出量の0.2%に過ぎず、コンビニの深夜営業を自粛しても排出量削減効果は微々たるもの。

 

京都市長が言うように、環境への負荷を少なくするようなライフスタイルへの転換を考えることは必要だ。しかし、コンビニという特定業種だけを限定して法的な規制をかけるのは適切ではない。

 

何か実害が起きて市民生活に悪影響を及ぼしていて、市民の多数から規制を求める声が上がっているとでもいうのなら別だが、そういう事実もないのに、特定の倫理観に基づいて規制をかけるというのは間違っている。京都市長としては振り上げたこぶしの降ろしどころを模索する方向に転換したほうが得策だろう。

2008年10月20日 (月)

保育園児を盾にした卑劣な保育園経営者

20081016日に大阪府が第2京阪道路の建設予定地の用地買収に応じなかった保育園の畑を行政代執行で強制収用したことを、報道では保育園児たちが楽しみに育てていた畑を無慈悲で強権的な大阪府側が踏みにじったように伝えていた。

 

ところが、大阪府は今年の春から保育園側と協議を申し入れており、強制収用の日程についても連絡していたという。保育園側はこの日に強制収用があることを数か月以上前から知っていたわけで、それまでに芋掘りをしておかなければどうなるかを十分わかっていたことになる。

 

保育園理事の松本剛一は、強制収用の時点で畑を収穫しておかなければ、大阪府=強者、保育園=弱者という構図を効果的にマスコミにアピールできると計算していたのだろう。そして、単純な図式が大好きなマスコミが計算どおりに報道してくれたので、ニンマリしているにちがいない。

 

保育園児を盾にして弱者を演じる松本剛一はかなり腹黒い人間だが、こんな単純な図式でしか報道できないマスコミもかなりレベルが低いといわざるを得ない。公権力の行使が間違っているときには厳しく批判するのがマスコミの使命だが、間違ってもいないときまで安直な図式で行政を悪者にするのはマスコミの社会的責任に対する罪である。

2008年10月19日 (日)

マルチ商法は本質的に反消費者だ

Noda マルチ商法から献金を受けていたことについて野田聖子は、業務停止処分を受けた業者ではないと弁明している。確かに、法令上の処分を受けた業者とそうでない業者を一緒くたにしてはいけない。

 

しかし他方で野田聖子は、法令上の規定もないのに、なんら違法行為をしていないこんにゃくゼリー業者に対し製造中止するよう実質的に命じた。

 

処分を受けた業者でなければ献金を受けても問題ないという主張と、法令上の処分ではないのに業者を製造中止に追い込む行為とを、同一人物がするのは一貫性がない。

 

マルチ商法とは英語のmulti-level marketingの訳だ。multi-levelとは、商品の流通経路が何段階にも重なっていることを意味する。それぞれの段階で販売手数料を取るので、結果的に商品の最終的な買い手は多額の販売手数料を負担することになる。つまり、商品の実質的な価値に比べて非常に割高な価格を支払わなければならない。

 

今日の日本の消費者向け市場では、メーカーから直接仕入れて大量に販売する家電量販店とか、アパレルならユニクロのように商品企画から小売まで一貫して行うSPA業態が急成長している。これが意味するところは、無駄な流通経費を抑えて本当の商品の価値に近い値段で売る商法が圧倒的に消費者に支持されているということだ。マルチ商法はその正反対だ。

 

それにマルチ商法に加担する人たちはもっぱらピラミッド組織の下の方から自動的に上がってくる手数料が目的である。汗水たらして実際の販売をすることなく、労せずして金儲けすることを夢見ている連中だ。ろくなものじゃない。

 

そんな連中の政治献金を受けて擁護するような発言をしてきた人間が、いまさら偉そうに水戸黄門の印籠のように消費者保護を掲げるなどちゃんちゃらおかしい。むしろ悪代官の役柄こそお似合いだろう。

 

英語にintegrityという言葉がある。通常、「誠実さ」と訳されるが、「筋が通っている」「言動に一貫性がある」という含意がある。野田聖子にないのがこのintegrityだ。

2008年10月18日 (土)

イッセー尾形は天才だ

イッセー尾形の本業の一人芝居はちゃんと劇場で見たことはない。現在、日本経済新聞に連載されている「普通の人びと十選」という名画を題材にしたコラムを読んでの感想だ。

 

毎回名画を1点取り上げて、その感想を述べたり絵を見て想像をたくましくしたりしているのだが、特に想像力がすばらしい。

 Cezanneplayers

10月16日のセザンヌ「カード遊びをする人々」はこれまでの中では一番の傑作だった。絵に描かれた男性二人の間の会話を勝手に想像している。

 

左「そうさなあ、俺に分かることは分かるけんども、分からねえことは……分からねえ」

右「ふーん。ウん? 自分には分からねえということがどうして分かるんだ?」

左「人間はもともとそう出来てんだよ。あのな、牛見たら牛だと分かるべな」

右「うむ」

左「馬見たら馬と、分かるべ?」

右「間違いねえ。だって馬なんだから。」

左「背の高い草むらの向こうにいるのはどっちだと聞かれたら?」

右「へっ! そりゃ無理だ分からねえよう」

左「ほれみろ、即座に分からねえことが分かったじゃねえか」

右「ほーん。分かったような気になったわ」

会話の調子が絵の雰囲気を実に見事に捉えているのに加えて、なんと哲学的な深い内容! 日本経済新聞の朝刊文化面には美術に関するコラムがよく連載されるが、その中でもイッセー尾形は最高である。

2008年10月17日 (金)

“消費者保護”は化けの皮~醜い野田聖子(その2)

(その1はここ

 

Noda 野田聖子が1996年に国会質問でマルチ商法を擁護する発言をしていた。

 

消費者保護を盾に、こんにゃくゼリー業者を恫喝して生産中止に追い込んだ野田聖子の本性はこの程度だったということだ。まことに醜い。

 

さしずめこんにゃくゼリー業者は、野田聖子に政治献金をしていなかったから血祭りに挙げられたのだろう。今後、食品業界をはじめ消費者向けに多少なりともリスクのある商品を製造販売する業者はこぞって野田聖子に政治献金をすることになりそうだ。

 

ああ、恐ろしい。

2008年10月16日 (木)

たった10%の値下げも拒否するNHK執行部の怠慢ぶり

Images_2 20081014日のNHK経営委員会では、10%の値下げを求める経営委員側とそれを拒否する執行部とが対立したあげく、経営委員側が押し切って4年後の10%還元を決定したという。

 

電気や電話の料金はここ10年ほどの間に大幅に値下がりしている。電気料金は平成6年から平成19年の間に18%値下がりし、市内電話料金では通話料金が平成13年に15%値下がりした。

 

同じ公共料金としてNHKの受信料を聖域扱いする必然性は何もない。日本経済は長くデフレが続いたことを考えると、引き下げをしなかっただけで実質値上げをしてきたことと同じになる。いかに経営の改革を怠ってきたかが端的に現れている。今回決定された還元は4年先だ。これだけの猶予が与えられれば10%くらいのコストダウンなどまともな経営者なら誰でも達成できる。

 

NHKは何かというと公共性を主張するが、公共性というのなら、受信料の値下げも含めて真剣に考えるべきだ。受信料の値下げによって家計の負担を軽減するのも、立派な公共性がある。

 

それに、受信料の値下げをしなければ公共性が必ず担保されるのか。現状の収支は1円たりとも無駄がなく、すべてが公共性を確保するために必要な使途に使われていると証明できるのか。公共性を根拠に値下げに反対するならそこまでの立証責任がNHK執行部にはある。

 

また、同じ公共料金でも、光熱費や通信費は自分で節約して支払額を抑えることができるが、NHK受信料は一律なので、自助努力での節約ができない。10%という数字に細かい根拠がないとしても、とりあえずの目標としてそれを達成するために組織改革に取り組むのは十分意味のあることだろう。

 

自分だけは既得権にしがみつき、組織内の腐敗を放置しながら、報道番組では他人の批判をするNHKの姿はまことに見苦しい。そして、市民団体を装って既得権擁護の援護射撃をする御用学者の醍醐聰もまことに醜いものがある。

2008年10月14日 (火)

マルチ商法から献金を受ける衆議院議員

Maeda 民主党の前田雄吉衆議院議員がマルチ商法の会社から政治献金を受けて、マルチ商法を擁護するような国会質問をしていたことが明らかになっている。ネットで検索してみたら、それだけにとどまらず、この前田雄吉という人には、「次代を担うネットワークビジネス」と題するマルチ商法を擁護する著書まであった(「ネットワークビジネス」とは、悪いイメージのあるマルチ商法という言葉を避けるためにマルチ商法業者が使う言葉だ)。

 

ここまでやっているということは、衆議院議員がマルチ商法から献金を受けていたというより、マルチ商法の利益代表として国会議員になり活動していたというべきではないか。

 

以前、そうと知らずにマルチ商法の説明会にでたことがあるが、善良そうなふりをして無知な消費者をだまして無駄なものを買わせる悪質な商法であった。

 

民主党は、即刻こんな議員は除名処分にしなければならない。国民の幸福を追求するまともな政党なら、こんな腐敗議員を在籍させておくことなどまったくありえない話である。民主党所属の他の国会議員、地方議員からもそういう議論が出てしかるべきではないか。もしそういう自浄作用が働かないのなら、民主党は信用できない。

2008年10月13日 (月)

いまだに見る試験の夢

もう40代も後半に入っているのだが、いまだに大学の試験の夢をときどき見る。入試ではなく、期末試験だ。

 

期末試験が迫っているというのに、私はどの科目の授業にも1回も出たことがなく、教科書もノートも持っていない。学期の初めに科目登録をしたきり、何曜日の何時にどの教室で授業があるのかまったく気にしないまま徒に日々を過ごしてしまったためなのだ。自分がどの科目をとっているのかすら、書類を確認しないとわからない体たらくだ。ここで単位を取れないと卒業もできなくなり、これからの人生の計画が大きく狂って取り返しのつかないことになる。

 

まだ1、2回は授業があるかもしれないのでそれだけでも出ようかと考えたり、せめて教科書だけでも手に入れようかと考えたりしながら、いまさらながら自分の怠慢ぶりを後悔している。

 

ストーリはこの優柔不断な状況をぐるぐる回るだけで、これ以上展開しない。なぜか試験当日を迎えるところまではいかないのだ。

 

現実には、成績は悪かったが大学の試験で単位を落としたことはない。なのになぜこんな夢を繰り返し見るのかは謎だ。実生活での何かの不安が大学の試験に形を変えて夢に出てきているのかもしれない。最近はフロイト式の夢判断はあまり流行らないようだが、もし解明できれば試験の夢を見なくなるかもしれない。

(その2はこちら

2008年10月12日 (日)

ステファンとは俺のことか

「ステファン」が気になる。英米人の名前だ。

 

全国紙や大手出版社の雑誌、テレビでもたまにこの名を見る。アルファベットではStephenとつづる。

 

Stephenの発音は、英米人なら、普通「スティーヴン」だ。決して「ステファン」ではない。ドイツ人、オーストリア人などゲルマン系のStefanなら「シュテファン」「ステファン」だが。

 

大手のメディアでもゲルマン系の「ステファン」と英語の「スティーヴン」とを混同しているのだ。

 

些細なことのようだが、人名を間違えるのはいい加減な仕事だといわざるを得ない。日本人の「林」さんを「リン」さんと呼ぶのと同じような間違いなのだから。

 

「ギョエテとはおれのことかとゲーテいひ」

という川柳があったが、スティーヴンも同じように言いたいのではないか。

2008年10月11日 (土)

高給と公的資金注入

Omemillion 米国で破綻懸念のある金融機関への公的資金の注入が感情的な反発から進んでいないという。感情的な反発とは、景気が良かったときには日本円にして数千万円から数百億円にものぼる年収をほしいままにしていた金融機関の連中を、具合が悪くなったからといって税金で助けるのは面白くないというのである。

 

日本の銀行員の給与は米国の投資銀行ほどは高くないが、日本の中では高給取りだ。バブル崩壊後、日本でも銀行に公的資金を注入したが、そのときも“高給取り救済”批判が出て、これに応えるため銀行員の給与はカットされた。会社がつぶれそうなのだから、外から批判されなくてもボーナスくらいはカットするのが当然だが。

 

しかし本来、銀行員個人の給与と、会社としての金融機関の救済とは分けて考えなければならない。個人を救済するのではなく、金融という社会になくてはならない機能を果たす企業の破綻を防ぐのが目的なのだから。――ということは百も承知でも、なんだかすっきりしないのも事実だ。

 

そのすっきりしない理由を考えてみると、次の2つが思い当たった。

 

1.税金で救済しなければならないほど公共性が高いのだから、いくら利益が上がっても高給という形で分配せずに、内部留保に回して安全性の向上を最優先するべきだった。

 

2.破綻しないことが保証されるなら、従業員にとってはリスクが低い勤務先なのだから、ローリスク・ローリターンで給与水準も抑えるべきだった。

 

こう考えれば、日米両国における金融機関破綻の経験から導き出すべき結論は、「金融機関はその高い公共性のゆえに、やたらに高給を支払うべきではない。」ということになる。やはり、高給を支払う金融機関に公的資金を注入するのは筋がとおらないのだ。

2008年10月10日 (金)

肩こりを治す(その2)

(その1はこちら 

 

肩こりを治すうえで、効果があったのは枕を調節することだ。元ネタはこれ

 

Makura これまでも肩こりと枕との関係は経験から気づいていた。寝る前よりも朝起きたときの方が肩こりが悪化していることがあった。寝ても首から肩の筋肉は休まるどころかかえって緊張して疲れてしまっていたのだ。

 

そこで、枕を何度か取り替えたのだが、取り替えるとかえって悪化してしまうことがあった。今からすると、枕が低すぎたのだが、高い枕をすると最初のうちは高すぎて落ち着かず、肩こりも悪化するのではないかと思い込んでいたのだ。

 

ところが、仰向けに寝たときに首の角度が15度、横向けに寝たときに頭から上半身の正中線がまっすぐになる高さに枕を調節してみたら、肩こりが改善した。この高さは、始めは少し高いように感じたのだが、論より証拠で、朝起きて寝る前より肩が凝っているということがなくなったのだ。

 

枕の高さを調節する方法は、バスタオルを折りたたんで、枕の下に敷く。1枚で足りなければもう1枚と足していき、上述した角度になるようにする。

 

ただし、私の経験では、同じ枕をしばらく使い続けると枕がへたるのか、身体が慣れてしまうのか、再び肩が凝るようになってしまう。そういうときは、高さの調節の仕方は同じだが、素材の違う枕に取り替える。つまり、2種類の枕を持っていて、時々交換しているのだ。

2008年10月 8日 (水)

ネクタイをきれいに保つ

Fliptie ネクタイは汚れるものだ。よだれ掛けと同じ場所にぶら下げるのだから、当然である。しかし、よだれ掛けと違って一日中同じものを目立つ場所にしていなくてはならないので、汚れると困る。

 

しかも、1本数千円から1万円以上もする。油性の食べ汚しをべっとり付けてしまったりすると、クリーニングしても完全には落ちないので、数千円~1万円以上を捨てることになる。とても痛い。

 

そこで、ネクタイをきれいに保つ秘法を伝授しよう(もったいぶっている)。

 

新しくネクタイを買ってきたら、すぐに防水スプレーをしっかりとかけて乾燥させる。これだけだ。

 

こうすれば汚れ自体が付きにくくなるし、もし付いてもたいていの汚れは乾いたナプキンで押さえるだけで取れる。よかったよかった。

 

ネクタイをクリーニングに出したときは、また防水スプレーをしっかりとかけて乾燥させておく。これを続ければネクタイの寿命は著しく伸びるはずだ。デザインが流行遅れになっても当方は関知しないが。

2008年10月 7日 (火)

長期の余裕資金があるなら株は買い時

サブプライムローン問題の影響は日々大きくなっており、米国のダウ平均株価が10,000ドルを割り込み、日本でも日経平均株価が10,000円を割り込んだ。個人の株式保有割合が高い米国で個人消費を直撃するのはもちろんのこと、日本でも逆資産効果による資金の目詰まりで、実体経済に対する重しとなってくるのは避けられないだろう。既に株を保有している人(私もそうだが)は、大きく含み損を抱えて苦い思いを胸に抱いていることだろう。

 

ここ2~3年、世界的に株価が上がり続けていたが、なんとなく根拠なく高値を付けているようで納得のいく価格ではなかった。結果論になるが、やはり調整の時は訪れたというのが実感だ。だから、含み損を抱えて楽しくはないが、相場の下落を見ても、やや下落のペースが速いものの「なぜだっ?!」というような衝撃はない。

 

相場というものは、上がったり下がったりするもので、安いときに買って高いときに売ることで儲けるものだ(当然だが)。株価が大きく下げたということは、今後上がればその分利益が出る。

 

相場全体に悲観論が蔓延しているときには、この世の終わりに向かってまっしぐらに進んでいるかのような雰囲気になる。しかし、米国でも日本でも、その他世界中で何億人の人間が暮らしていて、働いて、モノやサービスを売ったり買ったりしていく営みは変わらない。景気は循環する。いつかはわからないが、数年のうちには必ず景気も相場も回復することだけは間違いない。

 

もし現在手許に数年間使う当てのない現金や預金がある人は、大きく下げたときにせいぜい株を仕込んでおくと、数年後にはにんまりできるだろう。

2008年10月 4日 (土)

サラリーマンNEO(NHK)

Salarymanneo 規律を欠いており、報道機関としては甚だ大きな疑問があるNHKだが、サラリーマンNEOは優良番組であったことは認めざるを得ない。もしNHKがこの水準の番組ばかりを放送したとしたら、受信料の問題などたちどころに解消するだろう。

 

特に秀逸だったのが「セクスィー部長」だ。沢村一樹扮する色香恋次郎は、高校生の頃から圧倒的なフェロモンを分泌していたが、長じて会社の部長となった。トラブルメーカーの女性が引き起こしたやっかいな場面に登場し、フェロモンと恵まれたルックスとユニークなダンスで女性たちを魅了し、たちどころに難問を解決してしまうのだった。

 

「厚姫」は、中味は大したことないのだが、NHKの看板番組である大河ドラマ「篤姫」をパロディーにしたタイトルを当のNHKでやってしまうという大胆な遊び心がうれしい。

 

「スケバン欧愛留」は、美人OL3人組が実は「族」のレディースで、気に入らないサラリーマンをロッカールームで締め上げるシリーズ。3人組のキャストが良く、凛とした演技が決まっていた。真面目なことを言えばいまどきああいう制服を着たOLもいないと思うが、そこはフィクションとして楽しもう。

 

「就活一直線」は、就職浪人してしまった大学応援部OBの男が、後輩とともに就職活動をするが、常に後輩に負けてしまう話。徹底して時代錯誤な硬派ぶりを貫く男の外れっぷりが痛快だった。

 

他にもバラエティに富んだコントがたくさんあり、毎週期待して見ることができた。ただし、放送時間が途中から日曜日の23時という、翌週の勤務に差し支える時間帯に変更されたのは疑問だった。

 

NHKには報道番組にもこのくらいの創造性と品質の水準を求めたい。

2008年10月 3日 (金)

醜い野田聖子

Noda こんにゃくゼリーの誤飲による幼児の死亡事故が起きたことを受けて、野田聖子消費者行政推進担当大臣がこんにゃくゼリーのメーカー各社を呼びつけて、対策を求めた。このときの様子をテレビのニュースで見たが、野田大臣の態度は非常に傲慢で、見ていてきわめて不愉快だった。

 

幼児が死亡したことは大変痛ましい。しかし、メーカーに違法行為があったわけでもないのに、事業者を呼びつけてあんな高圧的な態度でものを言い渡すとは見苦しい。まるで時代劇の奉行気取りだ。一方的に業者を悪者にして消費者重視の姿勢を印象付けたいという魂胆が見え見えのスタンドプレーがまことに浅ましい。

 

こんにゃくゼリーが他の食品に比べて危険なのかどうかもはっきりしていない。毎年、正月になるとお年寄りが餅をのどに詰まらせて死亡する事故が起きている。しかし、だからといって餅の安全性を高めるよう行政指導をしたという話は聞いたことがない。食べ物をのどに詰まらせることは、他の食品でも十分起こりうることではないか。

 

先般の死亡事故については、1歳9か月の幼児にこんにゃくゼリーを食べさせた保護者の責任もあるだろう。

 

それなのに、野田聖子のスタンドプレーをを垂れ流すマスコミは健全な批評精神を欠いているのではないか。

2008年10月 2日 (木)

面接で仕事能力はわからない

この時期、大学生の就職活動がスタートするらしい。就職といえば面接が付き物だ。

 

面接は受けたことも、したことも何度もあるが、その経験から言って、面接で仕事能力はわからない。面接でわかるのは面接が上手かどうかだけだ。

 

およそあらゆる採用活動で面接が行われるのだから、もし面接で仕事能力が正しく判定できるのなら、会社に無能な社員は一人もいないはずだ。ところが、どこの会社にもまったく使えない人は何人かいるものだ。そういう人でも面接をパスして入社したのだ。面接では仕事能力がわからないことの反証である。

 

面接に必要なスキルと、担当業務を遂行するのに必要なスキルの間に強い相関があるのなら、面接で仕事ができるかどうかを調べることができる。水商売の面接などは確度が高いかもしらん。しかし、強い相関がないのなら、面接でわかるのは面接が上手かどうかにとどまる。

 

もちろん、面接に意味がないわけではない。最低限の礼儀をわきまえているかどうかとか、日本語で会話ができるかどうか、容姿をチェックすることはできる。これらも仕事の上では大切な要素だ。

 

ただ、雇う側は、面接には限界があることをわきまえるべきである。とかく自分は人を見る目があるから面接で何でもお見通しだと思い込んでいる人事が多い。

2008年10月 1日 (水)

また未聴の山が高くなりそうなクラシックCDボックスセットの発売

カラヤン/ベルリン・フィルハーモニーの1970年代の交響曲全集を集めた38枚組のセットが出る。

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カラヤン・シンフォニー・エディション

ベートーヴェン:交響曲全集

ブラームス:交響曲全集

ブルックナー:交響曲全集

メンデルスゾーン:交響曲全集

ハイドン:6つのパリ交響曲と12のロンドン交響曲集

モーツァルト:後期交響曲集

シューマン:交響曲全集

チャイコフスキー:交響曲全集

 

これまでドイツグラモフォン・レーベルは大型ボックスセットでの安売りはやっていなかったのだが、ついに始まったようだ。この内容で38枚入って約10,000円、1枚あたり260円ほどになる。

 

LPの時代にはカラヤン/ベルリン・フィルの録音でたくさんの曲に親しんだものだったが、CD時代に入ってからは数えるほどしか買っていなかった。同じ録音をCDで買いなおすのはつまらないし、次の世代の指揮者が登場してきていた。カラヤンの演奏は馴染んできただけに意外性がなかったからでもある。

 

振り返ってみれば1970年代はやはりカラヤン/ベルリン・フィルの全盛期だったようで、その時代の脂の乗り切った交響曲全集がこの値段となると、大人買いの衝動に強く駆られているところだ。

 

さて、もう1つ。

 

メシアン生誕100年記念32枚組完全限定盤オリヴィエ・メシアン/コンプリート・エディションというのもドイツ・グラモフォンから出る。約12,000円なので1枚あたり325円。

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メシアンは、トゥーランガリーラ交響曲がたまに聞きたくなるので、作曲家監修のチョンのCDを持っている。それ以外にも個性的な作品を多数残していることは知っているのだが、CDを集めるところまでは手が出ていなかった。

 

このセットには、オーケストラ作品はもちろん、室内楽、声楽曲、ピアノ曲、オルガン曲、オペラなどの作品が収められており、この際メシアンをひととおり聞いてみるか、という気にさせられてしまう。

 

というわけで、またレコード会社の戦術にはまってしまう可能性が高まっているのであった。

 

Karajan Symphony Edition

Berliner Philharmoniker

Deutsche Grammophon

 

 

Olivier Messiaen Complete Edition

Deutsche Grammophon

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