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2008年12月

2008年12月30日 (火)

IRENA不参加もよし

報道によれば、政府は国際再生可能エネルギー機関(IRENA)に参加しない方針を固めた。

 

ドイツが中心となって設立されるIRENAは、再生可能エネルギーに関する技術移転や資金調達、情報交換などを進める。日本はドイツから参加を求められてきたが、国際エネルギー機関(IEA)と重複していることから不参加の方針だという。

 

これまでわが国は欧米に追いつき追い越せで追随するのが習い性になっており、集団から“浮く”ことを何より嫌がる国民性からも、国際社会の大勢には問答無用で従うことが多かった。

 

IRENAには欧州主要国をはじめ途上国も多数参加する予定であるにもかかわらず、わが国が参加しない方針を決めたことはわが国外交の新しい1ページを開くものだ。

 

大勢が必ずしも日本の国益と合致している保証はない。税金を使って活動するならば、投下した税金以上の国益の増大がなければならない。きちんと費用対効果を見極めて政策を決定していってほしいものだ。

2008年12月28日 (日)

法人減税は「大企業優遇」か?

法人税率の引き下げを求める意見が産業界から出ている。主要国の法人税率が20~30%台であるのに対して、日本の法人税率が約40%で、税負担が重いためだ。法人税率が高いと、同じ売上高・税引き前利益でも、税金の支払に現金を持っていかれてしまうので、税引き後の利益・資金は少なくなってしまう。

 

法人税率の引き下げという議論をすると、左派野党は必ず「大企業優遇」というキャッチフレーズを掲げて反対する。しかし、法人税率引き下げは本当に大企業優遇なのだろうか。

 

法人税率は、企業規模に関わらず同じであり、大企業の税率が下がれば、同時に中小企業の税率も下がる。大企業にだけ特例の軽減税率を設けるようなことでもしない限り(そんなことはありえない)、大企業優遇という批判は的外れだ。

 

中小企業では、税金をいくら払うかをまず決めてから利益の額を確定するようなところも少なくないと聞く。個人企業では公私の境界があいまいで、オーナー経営者の生活費の一部も会社経費として損金に入れていることも珍しくない。たとえば、住宅を会社名義にして社宅扱いするとか、車も同様に社用車扱いにするなどだ。その結果、中小企業は本来払うべき法人税を払っておらず、実質的な税負担は軽い。

 

これに対し、上場企業では、各種の監査もあり、あまりいい加減なことはできない。基本的には真面目に税金を納めているはずだ。

 

高い税負担を嫌って企業が海外に移転してしまったら、税金を取ることもできなくなるし、国内の経済が縮小してしまう。短絡的・紋切り型の「大企業優遇」批判を真に受けて日本経済が沈没してしまうような愚は避けたいものだ。

2008年12月27日 (土)

ヘンデル「メサイア」バッハ・コレギウム・ジャパン(2008)

Bcjlogo21

20081223日にサントリーホールで行われた演奏会を聴いた。例年バッハ・コレギウム・ジャパン(BCJ)の「メサイア」を聴いているのだが、その都度、版、ソリスト、座席が違うので、印象も毎回少しずつ異なる。

 

今回は、座席が2階RB(右側)だったので、舞台との距離は近かった。オルガン(今井菜緒子)やチェンバロ(鈴木優人)の手元が良く見えた。舞台上にBCJの合唱は弧を描いて配置されていたので、左側の女声が良く聞こえた反面、男声合唱は聞こえにくかった。

 

ソプラノのレイチェル・ニコルズは声量があり美声だったが、弱音部になるとニュアンスがわかりにくかった。同じくソプラノの藤崎美苗は、やや緊張しているように見えたがBCJらしい清澄な歌声だった。カウンターテナーのクリストファー・ローリー(連れ合いはお笑いコンビ「ジョイマン」の高木に似ていると言っていた)は、柔らかな声でニュアンスもあったが、フォルテッシモではやや声量が物足りなく聞こえた。テノール櫻田亮は安定していた。テノール水越啓は1回しか出番がなかったせいか、やや硬い感じを受けた。バスのドミニク・ヴェルナーは声量・表現力に富んだが、後半、力強さが衰えたように感じた。以上の感想はいずれも2回RBというかなり横から聴く位置だったことが影響している可能性がある。

 

合唱を含め、日本人歌手の英語はカタカナ調の発音が気になった。例えば、18.Chorusの‘burthen’(現代語ならburden)を「バーデン」と/a:/という母音で歌っていたのは英語になっていない。

 

鈴木雅明の指揮は、蒸留水のように済んだ響きの奥に音楽のメッセージを見出させるBCJのスタイルである。薄味なのでドラマティックな演奏に比べると聞き手側の積極的鑑賞力が求められる。

 

あらためてハレルヤコーラス(39.Chorus)は充実した音楽であることを実感させてくれた。繰り返される「ハレルヤ」のフレーズが印象的で通俗的に有名だが、通俗名曲は真の名曲である。

 

キリスト教は信じていない私だが、40.Ariaの歌詞をじっくり読みながら演奏を聴いていたら涙が出そうになった。

 

I know that my Redeemer liveth,

and that he shall stand

at the latter day upon the earth.

And tho’worms destroy this body,

yet in my flesh shall I see God.

 

For now is Christ risen from the dead,

the first fruits of them that sleep.

 

全体としては満足な演奏会だった。

2008年12月26日 (金)

「七瀬ふたたび」NHK

Nanase 200810月~12月のシーズンに筒井康隆原作ドラマ「七瀬ふたたび」が10回シリーズで放送された。筒井康隆は少年時代に熱烈なファンだったし、番宣で見た主演の蓮佛美沙子に惹かれたので、毎回見た。

 

全体的な感想としては、7回目くらいまでの、「未知能力」を持った登場人物たちが自分たちが持つ特別な能力に悩み、迷うところの描写は良かった。「未知能力」の存在を別にすれば、人物描写ができていたからである。しかし、8回目くらいから徐々に姿を現す世界征服をもくろむ秘密結社パクス・シエンティアというのがまったくリアリティがなく、B級映画の悪者といった感じでしらけた。もちろん、世界征服を目指す組織なんていうのはフィクションに決まっているのだが、それにしてももう少し作りを丁寧にすればあそこまでB級の臭いを漂わせることは避けられただろう。

 

原作を読んだのは30年くらい前なので全然覚えていないが、こんなストーリーだったっけ? 時代背景は現代に変えてあるので、そのために印象がガラッと変わったのかもしれない。

 

キャストでは、消臭プラグのCMでお殿様の格好で踊って小ブレイクした今井朋彦が癖のある悪役を好演していた。刑事役の市川亀次郎は役作りへのこだわりは伝わってきたが、終始力が入りっぱなしで不自然さを感じた。子役の宮坂健太は、性質のよさそうな元気な少年を好演した。大学教授役の水野美紀は今回のキャストでは一番美人だがダイコン。

 

主役の蓮佛美沙子は澄ました表情の方が美人に見えるので、翳りのある七瀬役はよかったのではないか。エンドロールは蓮佛のプロモーションビデオみたいな作りだったので、彼女を引き立てて主役にするところにこのドラマの目的があったのだろう。その目的は十分達したように感じる。

2008年12月25日 (木)

この飲食店がだめな理由

毎日近所の商店街を通りながら見ていると、店の入れ替わりに遭遇することがある。小規模な飲食店の入れ替わりが多い。

 

開店当初はにぎわったのに、客足がまばらになってしまっている店がある。開店から1年もしないうちにたたんでしまう店がある。

 

うまくいかなかった店を見ているとだめな理由がわかるものだ。

 

多いのは、什器(椅子やテーブル)をはじめとする店内の雰囲気が安っぽくて落ち着かない店だ。開店には多額の資金が必要になるので、什器にかける金も節約したくなる気持ちはわからないではない。しかし、店構えは経営姿勢を表現するものなので、お客にどういうメッセージを伝えたいのか良く考えて作りこむ必要がある。

 

特に椅子は重要で、座面が木のままの椅子を使っている店は客を歓迎しているとは感じられない。硬い椅子に座らせて回転を良くしようなんていうことは行列ができるくらい繁盛してから考えても遅くない。

 

店の経営姿勢を示す重要な部分への投資をケチっては元も子もなくなってしまう。

 

客との距離感も大切だ。ひげをはやしてキャップをかぶったこわもてのおやじと狭いカウンターを挟んで対面しなくてはならない店があった。こわもてのおやじでも黙々と仕事をしているようなタイプならまだいいが、この店は中途半端におやじと話をしなきゃならないような感じだった。

 

いずれのケースも、おそらく店主は飲食店は料理が命で、うまいものを出しさえすれば繁盛すると思い込んでいるのだろう。しかし、客は料理だけでなく、店に滞在する時間も買うのである。部分だけを見ていると失敗する。

2008年12月24日 (水)

英語の授業は英語で

文部科学省が発表した高校の学習指導要領案で、英語の授業は英語で行うことが初めて記された。英語で授業ができる英語教師は少数しかいないだろうから、高校の英語の先生の皆さんは慌ててるだろう。しかし、これは正論だ。

 

中・高校で教える英語は、学問ではなくて生活の道具だ。道具なのだから、実際に使っているところを見せるのは当然だし、使うことで使い方を体得していくべきものである。

 

ところが、これまで英語を話せない教師が多数を占める実態を隠蔽するために、実際のコミュニケーションの手段として英語を話す場面ができるだけ少なくてすむように配慮(?)されてきた。

 

アジア諸国の中でも日本人の英語力の低さがはっきりしてきて(TOEFLの平均点が日本は最低)、これまでのような似非英語授業でごまかしていくわけにはいかなくなったということだろう。

 

英語教師の皆さん、せいぜい英語を猛勉強して、早く英語で授業できるようになってください。

2008年12月23日 (火)

2008年冬の風邪の症状

久しぶりに風邪を引いてしまった。脚を痛めて運動を休んでいたので、抵抗力が落ちたのかもしれない。

 

風邪の症状の推移は次のとおり。上気道炎にとどまらない症状なので記録しておく。

 

1日目 朝起きると、のどが乾燥したような違和感を覚える。

2日目 1日目と同様、のどの違和感がある。

3日目 のどがはっきりと痛みに変わる。くしゃみと鼻水も出る。口の両端が口角炎のようになり、大きく口を開けると少し痛む。

4日目 3日目と同様。せきも出る。

5日目 のどの痛みは治まり、せき、くしゃみ、鼻水が出る。

6日目 たんが出る。くしゃみ、鼻水は相変わらず。口角炎は収まる。午後から下痢が始まる。

7日目 微熱あり。せきは収まるが、たんは出る。鼻水はだんだん濃くなってきた。下痢(水様便)が続く。

8日目 たん、鼻水がまだ少し出る。下痢は軟便程度に改善する。

9日目 ほぼ治る。

 

口角炎ができたときは、胃がウイルスにやられていたのだろう。胃そのものでの自覚症状はなかったが。下痢はウイルスが腸に来て炎症を起こしたものと推測する。7日目に最高37.1℃になっただけで、熱はあまり上がらなかった。

2008年12月22日 (月)

ビミョーに笑えて和めるコラムたち

Logo_dpz @niftyのポータルサイトのコンテンツに「デイリーポータルZ」というのがある。@niftyトップページ では地味な扱いになっているので、見つけるのが難しい。

 

「デイリーポータルZ」には、日替わりでいろいろなコラムが掲載されている。1220日には2008年のランキング が発表されていた。

 

その中には、テレビの大食い番組などで紹介されるような「デカ盛り」を自宅で作ってみるとか、蒸し器でいろいろな(普通は蒸さない)食べ物を蒸してみたらどうなるか、などなど、ばかばかしくも真剣な試みの数々の記録がある。

 

多額の費用がかかる企画はないし、場所もライターの生活圏とニフティの会社近辺に限られており、ローコストっぷりがかわいい。自宅でいろいろなことをやっている場合も多く、写真の背景から私生活が垣間見えたりして、きれいごとに演出されていないベタな記事の作りに親近感がわく。

 

寄稿している人たちの中で、べつやくれいというライター兼イラストレーターに注目している。名前から推測できるとおり、劇作家別役実の娘さんで、ありふれたものを非常に個性的な観点から見直すところは親譲りの才能がある。今後も期待している。

2008年12月21日 (日)

ストリートビューの規制をなぜ国に求めるのか?

Maps_logo_beta_small_blue 「グーグル・ストリートビュー」について、対策を政府と国会に求める意見書を地方議会が可決する例がいくつか現れている。ストリートビューについては漠然とした不安を感じるのはわかる。

 

しかし、どうして地方議会から「国に対策を求める」旨の意見書なのか? 地方議会から直接グーグル社に要望すればいいことではないのか。

 

国にしても地方議会から求められたからといって法令上の根拠もなく一私企業が合法的に提供しているサービスに差し止めはできないはずだ。法令上の規定を欠く行政指導をするようなことになっては官僚支配の前近代に逆戻りすることになる。

 

地方議会も法令上の根拠を欠く指導を自分たちではしたくないから、国にやらせようとしているのだろう。そんな責任感と当事者意識を欠いた腑抜けぶりで本当に自治体住民の生活を守れるのか。本気でストリートビューへの規制が住民の基本的人権の保護に必要だと判断するのなら条例を作って規制すればいいではないか。

 

そこまでの判断力も責任感もないのなら、中途半端に責任を国に押し付けるような意見書などやめるべきだ。

2008年12月20日 (土)

吹き替えはなぜにタメ口?

テレビの情報バラエティ番組などに出てくる外国人へのインタビューでは、なぜか取材された外国人の言葉は日本語吹き替えはタメ口である。

 

外国語を逐語訳すると日本語の敬語や丁寧語にはならないことが多いのは事実だ。日本語の敬語は語彙そのものがタメ口とは違ったり(食べる→召し上がる)してかなり複雑だ。

 

だからといって外国語に敬語や丁寧語がないわけではない。英語では仮定法が丁寧語として使われることが多い。良識のある人なら当然テレビの取材にはその言語にとっての敬語や丁寧語を使う。

 

タメ口の吹き替えは、言語によって違う敬語や丁寧語のニュアンスを訳し分けるのを怠っただけのように思われる。それがすっかり習慣として定着してしまった。違和感を覚えるところだ。

2008年12月17日 (水)

年金財源は相続税の増税で

年金問題の解決案として、日本経済新聞が賦課方式と積立方式を併用することを提案した。

 

少子高齢化が進む日本で年金制度を改革しなければ老後に受ける年金は生活を支えることができない僅少の額になるか、保険料を納める現役世代の負担が過重になるか、どちらかしかない。

 

現行の賦課方式では、現役世代が納める保険料がそのまま高齢者が受け取る年金に回っているので、高齢者が増加し現役世代が減少し続けると、いずれかの結果が避けることができない。

 

積立方式とは、将来自分が受け取る年金の元金は、自分が支払った保険料で積み立てるものだ。自分が払った金が返ってくるので、きちんと保険料を納めていれば、将来受け取る年金の金額は相応のものが保証される。

 

理屈からいえば、積立方式の方が良いに決まっているのだが、永遠に人口が増え続けるとの安易な前提に基づいて高度成長期に賦課方式を導入してしまい、そのツケを誰が払うか先送りされてきたのだ。

 

将来的には積立方式に移行するべきだが、急激に切り替えると高齢者が受け取る年金が激減してしまうので実際には不可能だ。

 

日本経済新聞が提案した方式は、過渡期においては両方式を併用して折り合いをつけようとするものだ。賦課方式と積立方式の割合をどうするかは別にして、いずれ併用の決断をしなくてはならないだろう。

 

今年金を受け取っている世代は、自分が支払った保険料を大幅に上回る年金を受けているわけで、いわば「もらい得」をしている。きつい言葉だが、現役世代から搾取しているともいえる。

 

この不公平を緩和するひとつのアイディアがある。それは相続税の増税だ。

 

現在の高齢者は、多額の貯蓄を持っている。インフレの時代に住宅ローンを借りたので実質的な返済の負担は軽くて済んでうえに、年金は支払った保険料に比べてたくさんもらっている。多額の貯蓄も可能だったわけだ。

 

これらの貯蓄は、いずれ相続財産となる。もらい過ぎた年金で行った蓄財を国庫に返してもらうのである。そしてその分を現役世代の年金原資積立の足しにすれば、世代間の不均衡を少しは是正することになるだろう。

2008年12月14日 (日)

Karajan Symphony Edition~ブルックナー交響曲全集

979 大学の先輩で作曲家はブルックナー、指揮者ではカラヤンがそれぞれ好きだという人がいた。その先輩がおっしゃるには、「自分はカラヤンが演奏したブルックナーは好きだが、単純に好きなものの掛け合わせだからではなく、カラヤンのブルックナーは本当にいいと思う。」

 

それからずいぶんの年月が経ったが、今回このボックスセットで改めてカラヤンのブルックナーを聞いて、先輩の言葉を思い出した。

 

カラヤンが批判される場合には、音の即物的な美しさや技術的な完璧さだけを追求していて、音楽が伝えたいものをおろそかにしているというようなことが言われる。実際、このセットに入っているベートーヴェンでは私もそう感じることが多い。

 

しかし、少なくともブルックナーは違う。カラヤンはブルックナーと波長が合うというか、作曲家の気持ちになりきって演奏しているような自然な感情の発露が感じられる。

 

20世紀の商業主義を巧みに乗りこなして音楽界に君臨した世渡り上手のカラヤン。あれだけの仕事をしながら自分の作品に自信が持てず改訂を繰り返したり、女性にもてず結婚できなかった不器用なブルックナー。この二人に共通点があるというのも意外だが、こうした人間性の違いを超えた音楽の抽象性がそれを可能にしたのだろう。

 

 

Karajan Symphony Edition

Berliner Philharmoniker

Deutsche Grammophon 4778005

2008年12月13日 (土)

光ファイバー通信はいい

Logo 最近ではブロードバンドの積極的な利用者(YouTube、ニコニコ動画など動画)であれば高い比率で光ファイバー通信(ひかりoneやフレッツ光)を使っているのではないかと思う。

 

私はかなり初期から光ファイバー通信を使っている。アナログ→ISDN→ADSL→光というインターネット接続回線の歴史を体験してきた(ただし音響カプラは使ったことがないが)。次世代のサービスに移行するたびに通信速度の速さを感じてきたが、光は別格だ。

 

通信回線がボトルネックになることがほとんどない。ADSLまでは、通信回線が原因でWebページの読み込みに時間がかかると感じることがあった。光にしてからは、少なくとも日本国内のサーバーであれば、回線による遅延はほとんどなく、静止画の画像ならほとんど瞬時に表示される。たまに遅いページがあると相手のサーバーやデータベースに原因があると感じられる。

 

通販、銀行、証券などお金のやりとりが関係するサービスをネットで利用する場合には、回線障害でセッションが中断するとややこしいことになるが、光ならまずそういう問題はないので安心だ。

 

当然、電話も光電話に切り替えており基本料金は大幅に安くなった。

 

いったん上のレベルを知ってしまうと下には戻れないというものがあるが、光ファイバー通信もその一つだろう。

2008年12月12日 (金)

そこから先は国の仕事では?

わが国では、会社は労働者(=正社員)を簡単には解雇できない。法律上1か月分の給与を払えば解雇できることになっているが、判例によってそれだけではダメで正当な理由が必要とされている。正当な理由とは、会社が赤字になったとか、本人が就業規則違反をしたとか。会社が解雇を乱発することができないように歯止めをかけて労働者を保護しているわけだ。

 

景気の悪化など経営環境が大きく変わった場合には、会社としては労働者を解雇したくなることがある。ところが上述のとおり解雇をするのは困難である。ではどうするか。

 

派遣社員や期間労働者という雇用形態を作り出して利用するのである。最近の景気の悪化で契約を打ち切られて困っている人たちはこうした雇用形態だ。解雇できない正社員に代わって、雇用調整を一手に引き受けさせられているわけだ。

 

こうした会社側の動きに対して、雇用を守るように政府が要請したりしている。世間で名の通ったような会社なら、解雇は最後の手段であることは百も承知しているはずだ。それでも解雇せざるを得ないところまで追い込まれているのだ。もし無理に雇用を抱え込めば会社が赤字に転落して、株価は下落して景気悪化に拍車をかけることになり、最悪、運転資金の借り入れができなくなって経営破たんする結果にもなりかねない(アメリカのビッグスリーがまさにその瀬戸際だ)。

 

であれば、ここから先のセーフティネットは企業の責任ではなく、国や自治体の仕事ではないか。国民に健康で文化的な最低限の生活を保障するのは企業の責任ではなくて国の責任である。いざというときにその責任を果たせるような体制・財源を持っておかなかったとしたら、政府の失政である。特殊法人に天下った高級官僚が受け取る高額の退職金を回せば何人もの人たちを救うことも可能である。

 

政府の責任を棚に上げて、あたかも労働者を解雇する企業が悪いかのような議論をするのは政治家・役人の責任逃れである。

 

解雇する企業が悪者であるかのような論調のマスメディアもあるが、己の姿を鏡に映してみたほうが良い。

2008年12月10日 (水)

msn産経ニュースの試み

Sankeshinbunlogo msn産経ニュースは、Webならではの試みをしているようだ。

 

「写真で見る」では、記事に関連した写真を多数用意してあって、しかもクリックすると拡大表示もできるようになっている。拡大したときに写真のど真ん中に「産経デジタル」というクレジットが入るのが残念だが、一つの記事について複数の写真が見られるようになっていることもあり、Webならではのインタラクティブな機能を生かしている。

 

「キーワードで読む」では、いくつかのテーマについて連載で掘り下げる記事を掲載している。例えば「橋下徹研究」は、橋下大阪府知事の人となりや言動の背景について長期にわたって分析している。紙面では切り抜きでもしておかないと過去の連載記事を読み返すことはできないが、Webならリンクをたどっていくだけで連載を振り返ることができる。Webのデータベース性を生かした企画だ。

 

購読部数が減少して経営が難しくなっている新聞各社だが、Webならではの特性を生かして、いかにWebを収益化するかが課題だろう。産経の試みが収益性につながっているのかどうかは知らないが、一読者としては面白いと感じる。

2008年12月 9日 (火)

リサイクルにもいろいろある

Koshi_line リサイクルというと、古新聞の回収を連想する人が多いのではないか。近代の工業規模でのリサイクルとしては一番古くから行われ、一般化しているのが古新聞回収だろう。

 

回収された古新聞は、溶かされてインクを抜いた後、紙の原料として再利用される。リサイクルという言葉のイメージどおりの使われ方である。

 

なぜこんなわかりきったようなことを持って回った言い方で説明しているかというと、古新聞とは違うリサイクルの仕方があるからだ。

 

こんにち、プラスチックゴミやペットボトルも“リサイクル”のために回収されている。では、回収されたプラスチックやペットボトルは再びプラスチックの原料として利用されるのだろうか。

 

その答えはYes and No.である。技術的には再び原料として利用することは可能だし、一部では実際に行われている。しかし、コストが高く、エネルギー収支的にもあまりメリットがない。紙と違って不純物を安く取り除く方法がなく、不純物が混ざったままでは使い物にならないからだ。

 

そのため、プラスチックゴミやペットボトルのリサイクルは、サーマルリサイクルされることが多い。「サーマル」とは「熱の」という意味だ。つまり、燃やして発生する熱を他の用途に利用しているのだ。紙が紙に再生される古新聞のリサイクルのイメージとはまったく違うのである。

2008年12月 8日 (月)

ワーグナーが交響曲を書いていたら

516pur8onwl_sl500_ 安くなったCD箱物をさんざん大人買いしまくって大量の未聴在庫を抱えているが、現在、ウォークマンに落として携帯しているのが「WAGNER: THE GREAT OPERAS FROM THE BAYREUTH FESTIVAL33枚組だ。1960年代の録音も含まれるが、オンマイクで収録されているので臨場感があり、音質の古さは気にならない。

 

リブレットも見ずに聞き流しているので、ワーグナー楽劇の本当の価値をしっかり受け止める状態からは程遠い。しかし、絶対音楽として聞くだけでもワーグナーの音楽がすばらしいことはよくわかる。

 

ニュルンベルクのマイスタージンガー前奏曲の祝典的な盛り上がりから、トリスタンとイゾルデの玄妙な前奏曲まで、さまざまな感情や場面を幅広く表現するメロディー、近代オーケストラが持つ機能を最大限に活用したダイナミックで変化にとんだ色彩的なオーケストレーション。

 

楽劇はレチタティーヴォの部分が多く音楽として聞くのには密度が低い。やはり作者が意図したように総合芸術として劇場で楽しむべきものだろう。

 

交響曲が好きなので、中期以降の脂の乗ったワーグナーがその才能をフルに発揮して交響曲を書いていてくれたら...という気持ちを禁じえない(習作的な若書きはあるがほとんど演奏されない)。CDアルバムやオーケストラの演奏会でも楽劇からの抜粋を演奏することがある。やはり演奏会用のレパートリーが欲しかった。

 

ワーグナーの才能を持ってすれば、ブラームスを凌駕するような傑作交響曲を残せたのでは、と夢想する。

 

しかし、実際はおそらく違ったのだろう。ワーグナーは交響曲の作曲に興味はなかったし、上手にできる自信もなかった。天才でも得手不得手はあったといことか。

 

 

WAGNER: THE GREAT OPERAS FROM THE

BAYREUTH

FESTIVAL

Der Fliegende Holländer

Tannhäuser

Die Meistersinger von Nürnberg

Der Ring des Niebelungen

Parsifal

Bayreuth

Festspiele

DECCA 478 0279

2008年12月 7日 (日)

奥田碩氏のマスコミ批判に感情的に反発するジャーナリズムの甘ちゃんぶり

やや旧聞に属することになってしまったが、11月12日、奥田碩トヨタ自動車相談役(日本経団連名誉会長)が「テレビは朝から晩まで厚労省の話を毎日やっている。あれだけ厚労省だけたたかれるのは異常な話」と批判し、「マスコミに対し、なんか報復でもしてやろうかな。それくらいの感じは個人的に持っている。例えばスポンサーにならないとかね」と述べた。

 

これに対して、一部のジャーナリズムは、自由な報道や表現活動に対する恫喝だとか、トヨタの驕りだと強く反発している(例えばここ)。

 

まことに甘い認識だ。そもそも広告に収入を依存したビジネスモデルで放送事業を営んでいるのに、スポンサーの意向を無視した“自由な報道や表現活動”なんてできるわけがない。それは今までもそうだったし、これからもそうだ。

 

他人から金をもらっておきながら、やりたいことをして、言いたいことを言って許されると考えるのがまったく浮き世離れしている。親のすねをかじって反体制運動をやっていた1960年代の学生の思考パターンからまったく成長していない。

 

それに、テレビや新聞の体たらくを棚に上げて“自由な報道や表現活動”とはよく言ったものだ。1日24時間のうち、テレビが真にジャーナリズムの名に恥じない番組を放送している時間がいったい何時間あるというのか。大新聞の思考停止、ワンパターンの論調が“自由な報道”なのか。社内の論理にがんじがらめになっているのではないか。

 

例えば昨日取り上げたような、環境保護に名を借りたテロ活動集団グリーンピースの暗部を徹底的に追及するような調査報道をやった大手マスメディアがいったい一つでもあるのか。面倒くさい問題にはほっかむりをして、楽な問題だけを取り上げて無難なことばかり言っているマスメディアが“自由な報道や表現活動”とは笑わせる。

 

スポンサーの意向を気にしないで言いたいことを言うのなら、広告に依存しない媒体を作ればいいではないか。自分で金を稼ぐ努力もせず、その実力もないくせに、自由だけ寄越せという虫のいい話は大人の世界では通用しない。

2008年12月 6日 (土)

「グリーンピースって怪しいんですけど?」

Title_0812 ヤフーのWebマガジン「月刊チャージャー」12月号の記事「グリーンピースって怪しいんですけど?」は、大手メディアが切り込もうとしないグリーンピースの暗部を正面から質した好感の持てる記事だ。

 

グリーンピースの資金源の謎、数々の犯罪・暴力行為、だれが方針を決定しているのかといった核心を突いた質問をストレートに事務局長星川淳に突きつけている。星川の回答はいずれも極めて歯切れの悪い説得力を欠いたもので、こうした疑問に対してグリーンピースは明快な説明ができない文字どおり怪しい団体であることが露呈している。

 

環境保護とか、途上国の子供たちの支援だとか、誰も反対できないような大義名分を掲げて寄付金を募る団体は、一度は疑ってみたほうが良い。標榜しているような活動をまったくしていないわけではないだろうが、寄付金の大部分が団体の幹部の給料に消えている可能性がある。

 

非営利団体は、団体としては営利の追求を目的にはしていないだろうが、標榜している以外の目的がないかどうか、そこで働く人間が個人として営利を追求していないかどうかはまったく別の問題だ。

 

日本ではグリーンピースは既に怪しい悪役団体としてのイメージがすっかり定着しており、健全な批判精神を持つ人ならもはや騙されないが、世界中にはまだ騙されている良心的な人たちが多数いることを思うと悲しくなる。

2008年12月 2日 (火)

朝日新聞のビジネスモデルは賞味期限切れ

朝日新聞社が半期で100億円以上の赤字に転落したそうだ。資源高に端を発し、金融危機でダメ押しをされた景気後退の影響はもちろんあるだろう。しかし、それ以前に朝日新聞のビジネスモデルが賞味期限切れになったことが根底にあると思われる。

 

朝日新聞のビジネスモデルとは、社会の問題をすべて日本政府と大企業のせいにし、日本の責任を追及するアジア諸国の人々は常に無謬の正義である、という主張をすることにより読者に自己満足的なカタルシスを与えて新聞購読部数を伸ばす(確保する)というものである。

 

人口の大部分は政府や大企業の関係者ではない。したがって、社会への不満を政府や大企業のせいにしておけば、大多数の新聞購読者にとっては批判の矛先は常に他人に向かっているので安心感して読むことができる。しかも、政府や大企業は新聞に根拠のない悪口を書かれた程度ではつぶれない。社会の問題の原因が何なのかを深くは考えずに何でも政府と大企業が悪いことにしておけば、記事を書くのも楽ちんだった。

 

また、第二次世界大戦の戦後意識を引きずっている人が人口の多数を占めていた時代には、「戦争とはなんだったのか」という根源的な疑問に対して、とにかく一から百まですべて日本が悪かったのだと決め付ける単純明快な回答を示して見せたのが好評を博した。

 

自虐的なポーズを謙虚とか理性的という美徳だと日本人の多くは受け取ったので、朝日新聞はクオリティ・ペーパーであるというブランドイメージまで作り出すことに成功した。

 

しかし、もはや百年一日の朝日新聞の論調はすっかり飽きられた。単純な勧善懲悪の水戸黄門は年寄りしか見ないのと同じだ。若者が好きなアニメはもっとストーリーが複雑で、登場人物も多面的な人格を持っている。

 

最近のお笑い芸人はほとんどが一発屋に終わっているが、ネタの賞味期限は3か月くらいしかない。50年も同じことをやっていていつまでもそれで食えると考えるのはあまりにも虫が良すぎるだろう。

2008年12月 1日 (月)

アメリカ・ビッグスリーの救済

アメリカのビッグスリー(大手自動車メーカー3社=GM、フォード、クライスラー)に対する国の救済を支持する米国民が少数にとどまっているという。ビッグスリーは合計25万人を雇用しており、関連産業まで含めると400万人の雇用に影響が出ると主張して、国による資金注入を求めていた。

 

議会で説明を求められた経営者が自家用ジェットでワシントンに入ったり、かつてクライスラーの再建に辣腕を振るったアイアコッカが報酬を1ドルに減額したことを引き合いに出されても、3人中2人の経営者は同様の処遇を受け入れなかったとか。

 

投資銀行やヘッジファンドの強欲資本主義が批判されているが、どっこいアメリカではメーカーの経営者も強欲さでは負けていないようだ。

 

しかも、経営者だけでなく、巨大な労働組合に守られたビッグスリーの労働者もいろいろな既得権を手放そうとはしていないらしい。

 

これほどの危機に瀕しても労使双方が身を削る覚悟をまったく示さないことが、国による救済への米国民の不支持を生んでいるという。

 

これは「ゆでガエル」の状態といっていいだろう。100年間にわたってアメリカ経済の根幹をなしてきた自動車産業では、経営者も労働者も経営環境がここ20年くらいの間に大きく変わり、自分たちも変わらなくてはならないことにいまだに気づいていないのだ。

 

ここ日本で典型的な「ゆでガエル」といえば、国家公務員が最右翼だろう。世情に敏感な人材は既に民間に流出してしまい、公務員しかできない人材が必死で過去の栄光と権益にしがみついているように見える。見苦しい悪あがきはやめて環境に適応し、新しい環境の中でいかに生きるかに知恵を絞ったほうが悔いのない人生を生きられると思うのだが。なぜか結論が脱線してしまった。

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