2015年5月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

一人一票実現国民会議

  • 一人一票実現国民会議

FireFox

  • Mozilla Firefox ブラウザ無料ダウンロード
無料ブログはココログ

« 2009年4月 | トップページ | 2009年6月 »

2009年5月

2009年5月30日 (土)

Mozart Complete Works

240_ 170枚組のモーツァルト大全集(Brilliant)をすべて聴き終えた。MP3にリッピングして通勤途上にウォークマンで聴いたので、真面目な鑑賞態度からは程遠い。大雑把な印象のみ。

 

子供時代の作品から晩年まで、一貫してモーツァルトはモーツァルトだった。この時代の支配的な音楽様式の制約もあったのかもしれないが、いずれにしても一貫した個性が感じられた。もちろん歳を重ねるにつれて音楽は複雑になり、表現されているものも深みを増している。

 

ピリオド様式の演奏が良かった。ピリオド様式は、ホグウッドが登場した当初などは、近代様式へのアンチテーゼを示すことに力が入りすぎ、音楽の自然な楽しみからは逸脱したエキセントリックな演奏が多かった印象を持っている。しかし、この全集に収められている1990年代以降の録音では、変な力は入っておらず、それぞれの演奏家がのびのびとモーツァルトを楽しんでいるようだ。

 

近代様式は、大コンサートホールでも音が届くことを重視しているため、楽器本来の音色を犠牲にしている面があると感じる。その点、フォルテピアノやフラウト・トラヴェルソなどのピリオド楽器は、音量こそ小さいが、温かみのある音色で癒される。

 

170枚のCDを今後頻繁に満遍なく聴くことはないだろうが、これをすべて一度は聴いたことで、モーツァルトとはどういう音楽だったのか、について自分としてのイメージを持つことができたのはよかった。それまでのイメージが大きく修正されたわけではないが、すべてを聴いたことによる自信のようなものが得られた。

 

20086月頃、このセットが破格の安さになっていたときに7000円程度で入手したので、とても良い買い物でもあった。

 

Wolfgang Amadeus Mozart Complete Works

Brilliant Classics 92450

2009年5月25日 (月)

医薬品のネット販売規制に行政訴訟

医薬品をネット販売しているケンコーコムとウェルネットは、医薬品のネット販売を禁止する厚生省令の無効・取消を求める行政訴訟を提起した。

 

パブリックコメントでは圧倒的多数が省令に反対しているのに、完全無視。検討会でも反対論は封殺。腐敗しきった厚生労働省の役人たちが省令の撤回をしなかった以上、この訴訟提起は、やむを得ない至極当然のことである。

 

自民党の一部国会議員も票欲しさのあまり、典型的な既得権死守の利益誘導であるこの省令を支持するありさまだ。

 

厚労省の役人とつるんで医薬品のネット販売規制を支持することで、国民の権利侵害を進めている自民党議員は次のとおり。次の総選挙では落選することを期待する。

 

尾辻秀久

石井みどり

森雅子

渡嘉敷奈緒美

丸川珠代

原田憲治

越智隆雄

佐藤正久

宮路和明

桜田義孝

山崎拓

高市早苗

臼井日出男

島尻安伊子

宮腰光寛

 

裁判所が、憲法で保障された国民の権利をきちんと守る判決を出すことがきわめて大切だ。もし裁判所までが腐った厚生労働官僚と同じ立場に立って判決を出すようでは、日本の民主主義は極めて危険な状態にあるということになる。まさに祈るような気持ちだ。

2009年5月24日 (日)

R.シュトラウス「サロメ」マリア・ユーイング他(DVD)

Salome_ewing 英国コヴェントガーデンが1992年に製作した「サロメ」のDVD。「サロメ」のストーリーはひと言で言うと「変態王女のわがまま」であるが、エキセントリックなキャラクターでほぼ全編歌いっぱなしの大役をサロメ役のソプラノ、ユーイングは説得力を持って演じている。

 

「7つのヴェールの踊り」を熱演したあげく、最後にはシュトラウスの指定どおりに文字通り全裸になった体当たりぶりには頭が下がる。いかに芸術のためとはいえ、クラシックの歌手にとっては大変なチャレンジだ。ユーイングのスリムで筋肉質な体型はこの当時既に40代になっていたとは到底信じられない。この役柄を演じきろうとするなみなみならぬ覚悟と精進があったことが伺える。演出のピーター・ホールが当時ユーイングの夫であったことも後押ししていたのかもしれない。

 

ユーイングの母親はオランダ系、父親はスー族(アメリカン・インディアン)・スコットランド・アフリカの血を引いており、顔立ちがかなり個性的である。その点で、義父であるヘロデが惹かれ、警護隊長が自殺するほど恋焦がれるような普遍的で圧倒的な魅力があるサロメの設定とは若干の違和感も否めないが、オペラで容姿まで完璧な配役というのはまずありえないので仕方がないか。

 

この作品が作曲された当時としては、シュトラウスの音楽は前衛的で一部からは批判されたそうだが、私にむしろ終始洗練された美しい響きを奏でており、妖しく不健全な物語と対照をなしているようにすら聞こえる。後年のベルクの「ヴォツェック」のような徹頭徹尾不健全な音楽を知ってしまっているからかもしれない。

 

 

Richard Strauss: Salome

Salome: Maria Ewing

Jokanaan: Michael Devlin

Herod: Kenneth Riegel

Herodias: Gillian Knight

Narraboth: Robin Leggate

Conductor: Edward Downes

Stage Director: Peter Hall

PIONEER DVD

2009年5月19日 (火)

デンマーク大臣の妄言を批判せよ

Hedego デンマークのヘデゴー気候エネルギー大臣が、日本の温暖化ガス「4%増」案を批判したという。勝手に言わせておけばいいような話かもしれないが、一国の閣僚の発言であることを考えると、きちんと批判・反論しておくべきだろう。

 

これまでの繰り返しになるが、日本は1990年までに既に高い省エネを達成しており、省エネ努力を怠っていたEU諸国と一緒にされては大変迷惑なのである。同じ量の温暖化ガスを削減するにしても、日本はEUなどに比べてはるかに高いコストがかかる。そのコストをかぶれば、日本国民の生活が犠牲になるのだ。デンマーク国民が鼻歌を歌いながら削減できる量も、日本国民が削減しようとすれば物価高・増税・失業を伴うのだ。

 

こういう事情を知りながらよくもいけしゃあしゃあと日本に対して「野心的目標を持て」などと言うものだ。本当にこのヘデゴー気候エネルギー大臣というのは悪者だ。自国が優位に立つためなら、日本人を踏み台にしてもかまわないという考え方だ。もしかすると人種差別の発想が根底にあるのかもしれない。

 

他国の大臣が日本に対してこういう図々しい発言を恥ずかしげもなくするようになったのも、京都議定書のときに日本が外圧に負けて誰が見ても理不尽な譲歩をした前例があるからだ。日本はちょろい相手としてなめられている。

 

いずれにせよこんな人間を大臣にしているデンマークという国は、もはや日本にとって敵国といってもいいくらいだ。デンマーク国民が日本国民との友好を望むのであれば、こういう人間はきちんとデンマーク国内でも非難してもらいたい。

2009年5月17日 (日)

クラシック音楽とは何か

クラシック音楽の正確な定義があるのかどうか知らないが(芸術に関することで厳密な定義はおそらくないだろう)、およそ「西ヨーロッパの芸術音楽(大衆音楽に対比して)およびその様式に則った音楽」といったようなものになるだろう。

 

これは地理歴史的な側面から定義したものであるが、もう少し「音」そのものに即して定義しようとすれば、「主に西ヨーロッパに起源を持つ楽器または歌唱法を使用し、主に西ヨーロッパの音律に則った音楽。ただし、リズムセクションを有しないもの。」とでもなるだろうか。

 

「西ヨーロッパ」云々のところは言わずもがなであり、「リズムセクションを有しない」というところが芸術音楽と大衆音楽を分ける最大のポイントなのではないかと考えている。

 

クラシック音楽では、打楽器や打弦楽器・撥弦楽器(擦弦楽器の打弦・撥弦奏法を含む)が使われていても、曲の全部またはほとんどを通してリズムを刻むことはない。リズムを刻むことは暗黙のうちに禁止されているのがクラシック音楽だといっていい。

 

リズムセクションがあれば、メロディー、ハーモニー、テーマとその展開が若干弱くても、なんとか間を持たせることができる。ジャズのライブではドラムスがソロで十数分演奏を続けて聴衆を熱狂することもある。おそらくリズムがもっとも人間の生理に直接的に働きかける力を持っているからだろう。

 

ところがクラシック音楽は、もしかしたらもっとも力強い音楽の要素であるリズムを封印している。太鼓やティンパニは、曲の中で特にアクセントを付けたいところでせいぜい数小節しか続けて演奏することはできない。

 

その結果、必然的にメロディー、ハーモニー、テーマとその展開(リズム以外の要素)をしっかりと作りこまなければ楽曲としての説得力を持たせることができない。聞き手も、リズムという生理的なものに身を委ねることはできないので、しっかりと聞き込むことを要求される。

 

それがクラシック音楽なのである。

2009年5月15日 (金)

ちくま日本文学006「寺山修司」

Terayama 寺山修司の名前と風貌はずいぶん昔から知っている。そして、話し方もタモリの物まねで。「さらば箱舟」と「毛皮のマリー」は1回ずつ見た。しかし、著作をきちんと読んだことがなかった。20世紀後半中葉の日本に確かな存在感を発揮していた寺山修司をいつかは読まねばと思っていたところ、文庫版の選集である「ちくま日本文学」で出ていたのでこれ幸いと購入した。

 

これを読み通すと、寺山修司の作品テーマはいくつかに集約されるようだ。少年期の両親の不在と戻ってきた母親の束縛(それからいかに逃れるか)。東京へのきわめて強い憧れ。そして、社会の隅っこで飲む・打つ・買うといった日々の誘惑に負けながらもしぶとく生きる人々。

 

読む前の勝手な想像では、もっとひたすら現実、事実、具体的生活そのものに寄り添った作品が多いのかと思っていたが、理屈っぽく欧米の著作に言及したりしていたのは意外だった。そういえば、「さらば箱舟」は結構観念的な映画だったのを思い出した。

 

昭和10年に生まれ、昭和54年に死去しているので、寺山はまったく昭和時代そのものの生涯を送ったわけだ。戦争で父を失い、不遇な境遇で戦後の混乱期に思春期を過ごしながらも、文学の才能で頭角を現し、世相が高度成長で浮かれるようになっても自分を見失うことはなかった。

 

あまりにも昭和という時代の申し子であるがゆえに、もしかしたら時代が移り変わる中でいつか忘れられてしまうかもしれない。しかし、昭和を知っている世代にとっては確かな存在感のある人物である。

2009年5月14日 (木)

国民の多数は斉藤環境大臣より賢明だった

Saitoutetuo 政府が開いた国民との意見交換会参加者1000名の調査で、温室効果ガス削減の中期目標について、7割が「4%増」を支持していることがわかった。

 

斉藤鉄夫環境大臣は、「4%増」案を「世界の笑いものになる」と批判していたが、多数の国民は大臣よりもはるかに賢明だった。

 

既に諸外国に先駆けて大幅な省エネを達成している日本が、諸外国と同等以上の削減目標にコミットすれば、日本の衰退を招く結果になることは明らかだ。それなのに、諸外国からほめられたいという私欲だけで高い目標を掲げようとする斉藤鉄夫環境大臣は、いったい誰のために仕事をしているのか。日本の大臣を務めながら日本国民を犠牲にしようとするなど考え違いもはなはだしい。

 

斉藤鉄夫氏には一日も早く日本国の大臣・国会議員を辞職すると共に、できれば日本国民であることもやめてもらいたいものだ。

2009年5月13日 (水)

世界の笑いものになるのは斉藤環境大臣だ

Saitoutetuo_2

経団連が温室効果ガスの中期削減目標として1990年比4%増の案を支持したのに対し、斉藤鉄夫環境大臣は「世界の笑いものになる」と痛烈に批判し、「国際社会での地位をおとしめる」と述べた。

 

この斉藤環境大臣の発言は正しいだろうか?

 

削減幅が小さい数値を日本が示せば、EUなどの外国から批判的な意見が出るだろうことは間違いない。しかし、それは「世界の笑いもの」になり、「国際社会での地位をおとしめる」ことに直結するのだろうか。

 

日本は、基準となる1990年までに既に諸外国に比べて省エネの努力が進んでいたため、それ以上の省エネ(≒温室効果ガスの削減)をするのには大きなコストがかかる。これに対し、日本ほどの省エネ努力をしていなかった諸外国は安いコストで削減ができる。

 

この違いを無視して、諸外国と同等かそれ以上の削減目標を掲げたりすれば、日本国民はその達成のために、諸外国よりもはるかに大きな負担をしなくてはならない。

 

具体的には、次のようなことが起きる。

 

×電気・ガス・ガソリンなどのエネルギー価格が大きく値上がりする

 

×製品の競争力がなくなって売上げが落ち、企業の経営が苦しくなる

 

×その結果、給料・ボーナスが減る

 

×国民生活が苦しくなる

 

その一方、諸外国ではこうなる。

 

◎日本が削減目標達成のため購入するCO2クレジットで大儲け

 

◎日本企業の競争力が落ちるため、国内企業の景気が良くなる

 

つまり、「日本が自滅して諸外国が儲かる」という結果になる。

 

その原因を作った斉藤環境大臣に対する評価はどうなるか。当然、諸外国は、自国にあえて厳しい目標を設定した斉藤大臣を誉めそやすに決まっている。しかし、それをもって本当に「諸外国の笑いもの」になることや、「国際的な地位の低下」を防いだと言えるのか。

 

アメリカはかつて温暖化ガスの削減を約束する京都議定書の批准を拒否したが、それによって「国際的な地位が低下」しただろうか。それに、そもそも何をもって国際的な地位が低下と判断するのか。

 

自国の国益、自国民の繁栄・幸福を追求しないような大臣を心の底から賞賛する人はいない。表面的な賞賛欲しさに自国民を犠牲にした斉藤大臣のことを影では「笑いもの」にするに違いない。「日本人はすぐ外国に合わせようとするから操るのが簡単だ」と高笑いする外国人の姿が目に浮かぶ。内弁慶で外国人の言いなりになる大臣を仰ぐ日本国民の哀れなこと!

2009年5月 9日 (土)

新潟県知事は超法規的な権限を持っているのか

このほど東京電力の柏崎刈羽原子力発電所がようやく運転を再開した。

 

法的には原子力安全・保安院が安全性を確認する権限を持っており、多数の専門家による審議を経て既に213日に安全を確認している。したがって、法律上はこれをもって運転を再開することができたのである。

 

ところが、東京電力が新潟県など地元自治体と締結している安全協定があるため、新潟県知事の了解を取り付けないと実際には運転を再開できなかった。泉田裕彦新潟県知事は、どういう条件が満たされれば運転再開を了承するのかを予め示すこともなく、3か月が経過してようやく先ごろ了承した。

 

法治国家であれば、自治体の首長が職権によって民間企業の営業を停止させるにあたっては、法的な根拠が必要である。ところが、安全協定は民事上の契約の体裁をとっており、また、運転再開の諾否を決める手続も定められておらず、法的な根拠とはいえない。

 

運転再開が遅れたために、おそらく何十億円という燃料費が余計にかかっただろうし(消費者が負担する)、地球温暖化の原因になるCO2も余計に排出されただろうし(日本国民全員が負担する)、東京電力の企業価値が損なわれただろう(株主が負担する)。

 

これだけの社会的コストを増大させる意思決定をする権限が、法的な根拠もなく泉田裕彦新潟県知事一人に与えられているというのはいったいどういうことなのか。

 

もちろん原子力発電所の安全を確保することは当然だ。であれば客観的な基準や手続に基づいて判断することが必要だろう。そして、それは既に法律で定められているのである。手続が重複することを「屋上屋を架す」というが、既にちゃんとした屋根があるのに、その上に小さくてボロボロの屋根を架しても何の意味もない。

2009年5月 7日 (木)

アメリカ人も肩が凝る

アメリカ人は肩が凝らないものだと思っていた。かつてアメリカに住んでいたときに、肩こりに関する商品(例えば、日本でいえばサロンパスやアンメルツ、ピップエレキバンのようなもの)は見たことがなかった。また、「肩こり」に相当する英語表現も見聞きしたことがなかった。肩をもむとか肩をたたくという動作をしている人を見たこともなかった。

 

Caneleft しかし、最近アメリカのamazon.comでこのような商品が売られているのを偶然見つけた。ちょっと変な形をしているが、日本にも同様の商品は昔からある。J字型をした棒のカギの方の先端を肩に当てて引っ張ると、自分で肩をもむことができるのだ。

 

このアメリカの物は、さらに工夫がされていて、いくつかある突起を肩以外のツボに当てることで使い方の幅が広がっている。

 

こういう商品がamazon.comで紹介されているということは、アメリカでもこの手の商品の市場が広がっていることを示しているのかもしれない。カスタマーレビューが70件も投稿されていて、★★★★★が95%を占めているので、かなり好評を博しているようだ。

 

パソコンを使う人が増えており、一日中ディスプレイを見つめながらキーボードを打っていたら、人種民族を問わずやはり肩は凝るのだろう。

2009年5月 6日 (水)

「できそこないの男たち」福岡伸一(続)

03046516 本書のテーマは人間の男と女の関係を考えるうえで大いに刺激を与えてくれた。本書の結論部を要約するとだいたい次のようになる。

 

本来、生物はメスだけで(無性生殖で)世代を受け継いで生き延びてきた。しかし、違う個体同士が遺伝子を交換して、若干のバリエーションを作り出すと、環境の変化に耐えて生き延びるのに有用である。そのため、あるメスの遺伝子を他のメスに運ぶための運び屋としてオスができた。

 

オスはメスの身体を作り変えることによって生み出されたため、若干の不都合や不具合が残ったままになっている。メスに比べて精神的・身体的に弱いのはこのためである。

 

では今日、オスが世界を支配しているように見えるのはなぜなのか。著者の仮説は、「メスが欲張りすぎたため」である。

 

オスは他のメス(そのオスの母親)の遺伝子を運びさえすればそこで役割は終わりだった。子育てはメスがひとりでするか、卵を生みっぱなしで運命に任せるかのいずれかだ。ところが、子育てにオスを活用するメスが現れた。巣を作る、餌を取ってくる、メスや子供を守る、など。これに味を占めたメスは、オスの役割をどんどん大きくしていったというわけである。

 

人間の場合、オスの役割が大きくなりすぎて、本来メスの使いっ走りだったはずのオスの方が社会のいろいろな面を支配するようになってしまった。オスは体力が劣っていたのだが、餌取りや巣作りなどをするようになった結果、筋力など短期的な体力ではオスが勝るようになった。また、餌取りのための狩猟の効率をよくするために、新しい道具を作り出したり組織を作って運営したりすることが得意になった。

 

この仮説が正しいとすると、メスの復権のためには逆をやればいいことになる。

 

オスには遺伝子を運んでくること以外の役割をさせない。その用が済んだらさっさと追い払う。巣作り、餌取り、子育てなどはすべてメスだけでやる。

 

これはアマゾネス伝説そのものだ。となると、アマゾネス伝説もあながち空想の物語ではなく、理論的にはありうる社会形態なのかもしれない。ただ、オスにやってもらっていることを全部メスがやらなくてはならないので、大変は大変だ。それなりの覚悟がいる。

 

役割が大幅に縮小したオスたちが、必要とされる場面以外の人生をどう過ごすのか、そちらの方にも想像を膨らませてみると面白いかもしれない。

(前回の記事はこちら

2009年5月 5日 (火)

マーラー「交響曲第8番」バーンスタイン、ウィーン・フィル他(DVD)

645 1975年のライブ収録。若干会場ノイズが聞こえる部分もあるが、大きく観賞の妨げになるほどではない。さすがに30年以上前の映像なので、地デジのハイビジョン映像を見慣れた目には古めかしく映る。その一方で、音声はハイファイなので、映像の古めかしさと音質の良さとがとてもアンバランスに感じられる(しばらく見ていると慣れるが)。

 

映像は、細かく楽器のアップが切り替わりめまぐるしい。また、オーケストラの演奏者はあまり写さず、楽器だけのアップがほとんどだ。日ごろ見慣れているNHKテレビの映像では、楽器だけのアップはせず、演奏者を一緒に写しているので違和感を覚える。しかし、今どこのパートがメロディーや印象的なパッセージを演奏しているのかを的確に映像で教えてくれるので、これまでCDで音だけを聴いていたときにははっきりと認識していなかったオーケストレーションが分かって面白かった。また、天井桟敷に配置されたトランペットも映像ではっきりと示されていた。

 

録音はオンマイクで、あたかも両側のスピーカーを結ぶ平面上に演奏者がいるような音像になる。しかし、定位がはっきりし、迫力があるので、こういう録音も悪くない。1970年代の録音なので、今日の録音に比べるとかなりレンジは狭いはずだが、臨場感が補ってあまり古さを感じさせない。

 

ときどき映像と音声とが合っていないことがあり、映像とは違う演奏から音声を編集した部分があるようだ。

 

演奏は、バーンスタイン全盛期らしく濃い表現で、「千人の交響曲」と呼ばれる超大編成がこけおどしではなく、説得力を持たせることに成功している。第一部の終始輝かしい盛り上がりの後、第二部の前半の静謐な音楽はコントラストが強すぎてだれた感じになることがあるが、この演奏では映像も手伝って静かな部分ながら色彩的なパッセージが次々に展開することがよく伝わってきた。

 

8人いる独唱者たちはレベルが高くそろっているが、ジュディス・ブレゲン(ソプラノ)が透明感のある美声で表情豊かに歌っているのが印象的だった。

 

なお、このDVD2枚組みで、もう一枚のディスクに交響曲第7番が収録されているが、未試聴。

 

Mahler: Symphony No. 8

Edda Moser, Judith Blegen, Gerti Zeumer (Soprano)

Ingrid Mayr, Agnes Baltsa (Contralto)

Kenneth Riegel (Tenor)

Hermann Prey (Baritone)

Jose van Dam (Bass)

Konzertvereiningung Wiener Staatsopernchor

Singverein der Gesellschaft der Musikfreunde

Wiener Sängerknaben

Leonard Bernstein

Wiener Philharmoniker

Deutsche Grammophon 00440 073 4091

« 2009年4月 | トップページ | 2009年6月 »