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2009年6月

2009年6月30日 (火)

ウォークマンのイヤーピース

愛用しているウォークマンのイヤーピース(耳に挿入する部分のゴム製部品)を紛失してしまい、買い換えることになった。

 

それで調べてみると、NW-S703F用のイヤーピースEP-EX1はS・M・L各2個入りがセットになって売られている。

 

なくしたのはMサイズなので、SとLは必要ない。たまたま私は右と左のサイズが違って、Sはいずれ使う可能性があるが、Lは不要だ。

 

S・M・Lのセットをまんべんなく必要とする人はまずいないだろうから、この売り方はおかしい。ネットの口コミでも悪評だらけだ。

 

調べてみると、オーディオテクニカのイヤーピースER-CK5に互換性があるらしいことがわかった。純正品にするかどうするか逡巡したが、今回はセット販売に対する抗議の意味も込めてAT社のものを購入した。

 

装着してみると、純正品との違いは感じられない。カナル型イヤーフォンの場合、イヤーピースがぴったりしていないと音質が悪化するのだが、問題はなかった。

 

ソニーも反省したらしく、現行機種のイヤーピースはサイズ別に販売している。

2009年6月25日 (木)

NHK「アジアの“一等国”」の説明は一片の反省もない見苦しい官僚の作文だ

Nhk_special 45日に放送されたNHKスペシャル「アジアの“一等国”」が反日的な歴史観に基づき台湾人へのインタビューを恣意的に編集した番組であると多方面から批判されている。

 

私がこの番組を見たときの最初の感想は、「NHK内部の反日分子が台湾人の言葉を借りて反日プロパガンダをやっているな」というものだった。

 

果たして、当の台湾人の方々を含め多数の人たちがこの番組の偏向・歪曲ぶりを批判することとなった。

 

それに対し、最近NHKは番組ホームページに「説明」と題する弁明の文章を掲載した。しかし、この文章は説明になっておらず、自らの正当性を一方的に主張しているだけだ。「偏向がないこと」「誤りがないこと」を証明するなら、自分たちがどのように番組を作ったかだけでなく、多面的な資料に基づいて位置づけを客観的に解明することが必要だ。

 

ところが、この「説明」では、自分たちが番組制作に当たって恣意的に選んだ資料を示しただけで、それが客観的な妥当性を持つかどうかはまったく検証されていない。

 

よくマスコミが国会答弁を「官僚の作文」と批判するが、このNHKの「説明」も我田引水で自分たちの内部の論理だけでできている点ではまったく同じである。こんな低劣な文章を公式の説明と称して発表するNHKには官僚を批判する資格はない(というか、NHK自体も既得権益バリバリの官僚的組織の典型だが)。

 

マスコミが果たす批判的機能が民主主義の維持発展に必要不可欠であることは論を待たない。しかし、マスコミが健全な批判精神を維持するためには、自らに対しても反省すべきは謙虚に反省することが必要だ。あたかも自分たちは常に無謬であり、それを批判する方がおかしいかのようなNHKの「説明」は誠に見苦しい。自浄能力のない組織に公的な役割を任せることはできない。

 

真に公正中立な報道ができないNHKには、法に基づいて受信料を強制徴収する資格などない。今般、NHKが放送法違反として提訴されたのもまことに無理からぬことだ。

2009年6月23日 (火)

遠回りの「リニア新幹線」?

JR東海の東京・名古屋間リニア新幹線建設計画に対し、長野県はルートを迂回させて県内に複数の駅を設置することを求めている。

 

リニア新幹線の目的は何か? 最短時間で東京と名古屋を移動する手段を提供することだろう。だとしたらこの目的に合致しない選択肢をわざわざ検討する必要もない。

 

仮に建設費や運営費が安くなるならまだしも、そのどちらも大幅に増加するのだから、論外だ。東京から名古屋に最短時間で移動したいだけの旅客が増加費用のツケを払わされるなど考えたくもない。

 

長野県の責任ある立場にある人達は、子供のわがままみたいなみっともない恥ずかしい主張を早く取り下げるべきだ。大人のすることではない。

 

もし政治的な圧力や恫喝などを駆使してリニア新幹線のルートを捻じ曲げさせるようなことがあれば、長野県民は、長野県以外のすべての日本国民から永く恨みを買い、軽蔑されることになるのは間違いない。

2009年6月22日 (月)

コロチャー入りカップヌードルを食べる

Photo 日清食品のカップヌードルに入っていた具の肉がひき肉のかたまりから角切りのチャーシュー(コロチャー)に変わったというので、ためしに食べてみた。

 

カップヌードルは、発売当初から食べていたので、とても親近感がある。しかし、中年になってからは、栄養バランスと塩分が健康に良くない感じがして避けている。今回、発売以来のリニューアルで肉が変わるというので、好奇心から食べてみたのだ。

 

かつてコカコーラが味をリニューアルしたところ、消費者から抗議が殺到し、結局元に戻した有名なエピソードがある。このようにロングセラーで多数の消費者に親しまれている商品のリニューアルには大きなリスクがある。カップヌードルも下手をすると消費者の逆鱗に触れる可能性がある。

 

以前のひき肉の塊はかなり濃い独特の味付けがしてあって、何種類か入っている具の中でも印象の強いものだった。

 

さて、熱湯を注いで3分間待ち、新しい角切りチャーシューを食べてみる。歯ざわりは、以前のひき肉塊のいかにも人工的なものとはうって変わって、本物のチャーシューらしい感触だ。味も人工的な感じからより自然な味に変わっている。本物感では改善されたといっていいだろう。

 

しかし、角切りのサイズが小さい。サラダにのせるクルトンよりも小さい。小ささの故に、質としては本物っぽいチャーシューではあるが、全体的な食感としては不自然な印象がある。角切りならもっとしっかりと歯ごたえを感じさせる大きさであってほしい。

 

インスタントではない本物のラーメンでは、チャーシューが角切りということはなく、スライスされている。だから、角切りの歯ごたえというのはラーメンに必要な要素ではない。わざわざ角切りという形を選んだのなら、しっかりした歯ごたえを感じさせるべきではないか。さもなければ、さらに本物っぽく大判でスライスしたチャーシューをのせて欲しい。

 

食後しばらくしてから異常な喉の渇きを覚えた。塩分取りすぎのしるしだ。やはりこれは身体によくない。たぶんチャーシューのいかんに関わらず今後1年間は食べないだろう。

2009年6月21日 (日)

テッポウユリが花盛り

Simage063

テッポウユリが6月14日ごろから咲き始め、この2,3日は満開状態になってきた。いっせいに咲くのでにぎやかでゴージャスな感じだ。純白でトランペットのベルのようにすっきりとした形はとてもさわやかだ。

2009年6月20日 (土)

オタマジャクシはなぜ降るのか

最近、日本各地でオタマジャクシが降ることが多い。以前にはこのような現象は見られなかったようだ。なぜ最近になって突然オタマジャクシが降るのか?

 

それは誰かが降らせているからだろう。ミステリーサークルやポルターガイスト現象と同じだ。誰かがいたずらでやっているにきまっている。

 

そうでなければ、何の共通性もない離れ離れの地点で同じような現象が起きるわけがない。もし竜巻か何かで水中のオタマジャクシが吸い上げられて降ってくるのなら、オタマジャクシ以外の水中の物体も一緒に降ってくるはずだ。また、もしカラスが餌として飲み込んだオタマジャクシをゲップした拍子に吐き出してしまったのだとしても、そんな現象が全国各地で同時に多発するわけがない。

 

まあこんないたずらはあえて種明かしをしないで、楽しんでいればいいようなものだが、干物にされてしまうオタマジャクシがちょっと可哀想ではある。

2009年6月13日 (土)

ベルリン・フィル「ヨーロッパ・コンサート」2001イスタンブール

634 ヤンソンスの指揮で行われた演奏会のライブ映像。会場は荘厳な雰囲気の漂う聖イレーネ聖堂。メディチ・アーツの2009年版カタログのおまけの形式なので、900円と価格が安かったのも購入した一つの要因だ。。

 

ハイドンの交響曲第94番は、大オーケストラだが、重くならずに愉悦感あふれる演奏でとても楽しめた。

 

モーツァルトのフルート協奏曲第2番は、なぜかハイドンから一転してオケが固く重い演奏となった。フルートのパユは堂々としたソロを展開しているが、オケが足を引っ張ったために、この曲本来の魅力を感じることができなかった。

 

ベルリオーズ「幻想交響曲」は、作曲家が付記したようなエキセントリックな麻薬患者の妄想ではなく、普遍的で崇高な雰囲気すら漂わせるドラマに昇華させた演奏。オケの響きが美しい。録音の関係か、シンバルやチューバの音がはっきりと聞こえる。ベルの音色も柔らかさがあって美しい。

 

アフレコ・アテレコではないはずだが、マイクが見当たらないのが不思議。ライブだとマイクが見えないのがかえって気になった。変なものだ。

 

Berlioz: Symphonie fantastique

Haydn: Symphony No. 94 “Surprise”

Mozart: Flute Concerto No. 2

Emmanual Pahud, flute

Marris Jansons, conductor

Berliner Philharmoniker

(Catalogue 2009)

meidici arts 2020098

2009年6月12日 (金)

温室効果ガス排出削減中期目標15%

麻生総理が6月10日に発表した温室効果ガスの中期削減目標「15%」について、新聞の論調は「外国からどう思われるか」という観点からの論評ばかりだ。

 

外国からどう思われようとどうでもよい。大切なのは、日本の国益、日本国民の生活が守られるかどうかだ。

 

外国から絶賛の嵐を浴びたとしても、日本国民の生活が窮乏したとしたら、それは責任ある政策ではない。削減数値を最優先するなら、日本人が全員死んでしまえば削減率は100%になる。仮にそうやって日本が100%削減したとしても、地球全体からすればたった数パーセントの削減にしかならない。地球温暖化を止めるうえで大した効果はないのだ。温暖化を止めるためには、大排出国であるアメリカと中国が削減しない限り、効果はない。

 

さらに、新聞社の論調には、温室効果ガスの削減は新聞社にとっても我が事であるという当時者意識がまったく感じられない。誰か他の人が新聞社の分も含めて削減してくれるだろうといわんばかりの無責任な態度だ。

 

日本政府が削減目標値を国際約束として誠実に履行しようとするならすべての国民がその責任を分担しなくてはならない。他人事ではないのだ。

 

25%やそれ以上の大幅な削減を主張する新聞社は、まず自分たちがそれを実行してみせてもらいたい。少なくとも削減に向けた具体的な計画をぜひ新聞紙面で公表してもらいたい。それが責任ある態度というものだろう。

2009年6月11日 (木)

50代以上は美女に弱い

普通ならボロクソに言われるような企画だったのに、担当者が美女だったので役員がすぐに承認のハンコを押してしまったという話を聞いた。

美人社員が報告にくるとはしゃいで通常よりもテンションが何倍にも上がる役員を見たことがある。

いずれも役員の年齢は50代以上だ。

もちろん男なら美女は好きに決まっているが、職場でのけじめがつけられないのは意志が弱いからだ。単に意志が弱いというより、仕事上では男女は関係ないという認識が薄弱なのだろう。

男女雇用機会均等法が施行された後の世代なら同期にも同じ待遇の女性がいて、一応、横一線で会社生活をスタートしているので、仕事に性別は関係ないということを実感として持っている。

しかし、50代以上は均等法よりも前の時代に会社に入っているので、同期に同等の学歴の女性はいない。女性社員といえばお茶汲み・コピー取りの「職場の花」という時代だった。女性社員の側も職場結婚して寿退社というコースに疑問を抱いていなかった。

そのため、50代以上は男性と対等の立場で仕事をする女性というものに対して免疫がない。女性が、それまで男性がやっていたような仕事を担当していると、それだけでどぎまぎしてしまう。これに加えて、その女性が美人だったりすると、もう完全に判断力を失ってしまうのだ。

あと10年もすれば均等法以前の役員・管理職もほとんどいなくなるので、このような現象もあまり見られなくなるだろう。美女社員の皆さん、女に弱いオヤジ役員を手玉にとってやりたいことをできるのは今のうちですよ。がんばれ。

2009年6月 7日 (日)

「言語の限界」ミケル・パルクヴァル

Parkvall 言語学のトリビア集といった趣の本だが、情報量の膨大さに驚く。目次をざっと見ると、社会言語学、歴史言語学、手話、言語習得、動物と言語、人工言語、法言語学、一般人が持つイメージ、語彙、発音、言語の構造、言語学者と、言語学の概説書で通常扱わないテーマも含めた広い範囲をカバーしている。

 

そして、一つ一つのテーマについて、学術的な知識から雑学的な知識まで、きちんとした出典に基づいたデータを示している。

 

例えば、もっとも言語の数の多い国のランキング上位5か国は次のとおり。

 

パプアニューニギニア 823

インドネシア 726

ナイジェリア 505

インド 387

メキシコ 288

 

1つの国の中にこんなにも多数の言語があるとは、方言こそ多様だが一応誰もが日本語を話す国にいると想像もできない。

 

日本語も「最も複雑な表記法」として登場している。文字の種類に漢字、ひらがな、カタカナ、アルファベットがあり、縦書き・横書きがある。さらに、漢字には音読みと訓読みがあるうえに、音読みだけでも複数ある漢字もある。アルファベットだけで事足りるヨーロッパ人からすると想像を絶する複雑さと映るようだ。

 

トリビアらしい話としては、Webster’s New International Dictionary(1934)に収録された幻の英単語「dord」がある。意味は、「(物理学・化学用語)密度」と載っている。ところが、これは勘違いでこうなってしまったのである。原稿には「D or d」(Dまたはd)と書いてあったのに、組版工が1語と間違えて「dord」としてしまったのだ。つまり、densityが略してDまたはdと書かれる場合があるという意味だったのだ。

 

苗字の種類の多い国、少ない国のランキングなんてのもある。上位10種類の苗字で国民の何%がカバーされるかのトップ10は次のとおり。

 

ドイツ 40.90%

デンマーク 33.22%

レユニオン 26.03%

スペイン 19.65%

スウェーデン 19.50%

ハンガリー 16.86%

ノルウェー 8.64%

ケベック 6.51%

英国 5.70%

アメリカ 5.62%

 

日本はランキングに出ていない。世界の中でも苗字の種類が多くてばらついている部類に入るようだ。

 

とにかく盛りだくさんな本なので、バランスよく概要を説明することができない。言語学に興味のある方は読んで損はない。

 

著者はストックホルム大学の言語学者。スウェーデン人の名前はなじみがないので、カタカナ標記は間違っているかもしれない。

 

Limits of Language

Mikael Parkvall

Battlebridge Publications

ISBN: 978-1-903292-04-4

2009年6月 5日 (金)

どこまでお子ちゃまなのか、この元校長

職員会議で挙手による採決を禁じた東京都教育委員会の通知を、「民主主義に反する」として反対していた元都立三鷹高校長の土肥信雄(60)が、定年退職後に非常勤教員として採用されなかったのは不当として、都に約1850万円の損害賠償を求める訴えを東京地裁に起こした。土肥元校長は、「不採用は、言いなりにならない姿勢と意見表明を都教委が疎ましく思い、教育現場から排除しようとした報復的行為で無効」と主張している。(NIKKEI NETより)

 

そりゃ上司の指示に従わない人なんか再雇用するわけないじゃないか。この人の主張がまったくおかしいことは1年前にニュースになったときに指摘したとおりだ。

 

上司の指示には従わず、やりたいことをやり、言いたいことは言います、やりたくないことはやりません、なんていう人間は職員としてはマイナスの価値しかない。普通の企業なら3日でクビか左遷だ。

 

ここまでおかしな主張を堂々とするというのは左翼とか反権力とかいうのではなく、精神病なのではないか。裁判所に行くよりも病院に行ったほうがいいと思う。

2009年6月 2日 (火)

ヘンデル「メサイア」(ハイライト)オーマンディ他

082 60枚組のBAROQUE MASTERPIECES(バロック傑作集)を聴き始めた。最初の20枚ほどはバッハの作品で、クイケンとラ・プティット・バンドやグスタフ・レオンハルトなどピリオド様式の大御所の演奏が収められており、安心して聴いていた。

 

ところが、このヘンデル「メサイア」になって驚いた。

 

まず、オーケストラはモダン様式である。最近はバロックをモダン様式で演奏することはまれなので、違和感を持ってしまう。それはまだいいとして、合唱がアメリカ訛りの発音で、しかもほとんど地声で歌っているのだ。発声をコントロールしている様子がなく、放歌といった趣だ。

 

ウォークマンの小さなディスプレイなので、演奏者の名前が表示されない。いったい誰の演奏なのか?

 

それで調べてみたら1959年頃のオーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団のCBS録音だった。まだピリオド様式など言葉も存在していない頃だ。オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団といえば近代オーケストラの機能性を最大限に発揮した豪華絢爛な演奏で有名だった。

 

この「メサイア」も、繊細さのかけらもなく、とにかく大コンサートホールをメサイア(キリストのこと)を讃える大音声で満たそうという演奏だ。合唱はアメリカ訛り丸出し、声質はバラバラで一体感が全然ない。ヤンキーゴーホーム(?)といわんばかりの雰囲気。大味とはまさにこういうものを言うのだろう。

 

ただし、The Trumpet Shall Soundのトランペットは、柔らかみのある美しい音色で、ニュアンスにも富んでおり、見事な演奏だ。ピリオド楽器は地味だし、唇でコントロールするため音程によって音色が変わってしまう場合があり、それと較べたモダン楽器の良さをちょっと見直した。ただし、それも演奏者の技と音楽性があってのことだ。

 

Handel: Messiah HVW 56 (Highlights)

Eileen Farrell, Soprano

Martha Lipton, Alto

William Warfield, Bass-Baritone

The Mormon Tabernacle Choir

The Philadelphia Orchestra

Eugene Ormandy, Conductor

BAROQUE MASTERPIECES CD 33

Sony BGM

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