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2009年7月

2009年7月29日 (水)

一票の格差をなくせ

弁護士の久保利英明氏が日経ビジネスonlineの「政権交代? その前にやることがあるだろう」と題する記事で、選挙での一票の格差がいつまでたっても是正されないことへの苛立ちを表明し、総選挙と同時に行われる最高裁判所裁判官の国民審査で一票の格差を合憲とした裁判官への不信任を呼びかけている。

 

この記事に全面的に同意する。まったく久々に読んだ胸のすくような文章だ。

 

久保利氏が提唱する、次回の国民審査で×をつけるべき裁判官の氏名は次のとおり。

 

× 那須弘平

× 涌井紀夫

 

憲法は、統治機構が暴走しないようにタガをはめるために存在している。それなのに、一票の格差という明白な「法の下の平等」原則への背反を放置している国会に対して、実効性のある牽制機能を発揮しない最高裁判所裁判官は国民から不信任を突きつけられて当然だ。

 

従来からネット上で同様の呼びかけをする運動を行っている人達は存在した。私も前回の国民審査でいく人かの裁判官に×をつけた。

 

久保利氏らの運動は、より社会的な影響力のある人達が参加していることで、広がりが出てくることを期待する。

2009年7月28日 (火)

大使を軽視するオバマ大統領

米国オバマ大統領が駐日大使に無名のルース氏を指名したことについて、日米関係を軽視しているのではないかとの見方があった。

 

しかし、駐日大使だけでなく、駐英、駐仏、駐印米国大使にも大統領の資金集めで功労のあった無名人が指名されている。

 

ここから言えることは、オバマ大統領は、日米関係を軽視しているのではなく、大使という職を軽視しているのだろうということだ。

 

外務大臣からの指令書が在外の大使の手元に届くまで飛脚や船や飛行機で何日も何十日もかかった時代には、外交上の急を要する事態に対しては文字どおり全権を委任して大使に判断を任せることもあっただろう。

 

しかし、今日、国際電話・ファクス、電子メールで即時に報告ができ、指示も仰げる時代になっている。いかに大物の大使といえども個人の判断で外交を左右することはできない。特命全権大使という肩書きが空しく残っているだけだ。

 

もはや大使といえども実質的にはメッセンジャーボーイに過ぎない。メッセージの重要性、伝える相手の職位に応じて大使などの肩書きが必要になるから形式的にいるだけの名誉職だ。

 

したがって、大使の資質として政治経験など重要ではなく、ビジネスマンとして優秀な人物であれば十分に勤まる仕事なのだ。ルース氏も弁護士として辣腕を振るってきた人らしいので、大使としても立派に勤め上げることは十分可能だろう。

 

結局、オバマ大統領は名誉職としての大使の実像を裸にしたということではないか。あえて「大使を軽視する」と題したが、しょせん大使とはその程度の仕事なのだ。

2009年7月26日 (日)

シンクロを見て

昨晩はテレビで世界水泳のシンクロ決勝を見た。日本の6位はおおむね妥当と思われた。地味だったしね。

 

そこで気になったのが、日本チームの皆さんがずいぶんと日焼けしていたことである。同じ東アジア人であっても北朝鮮や中国はずっと白かった。

 

日本人はただでさえ手足が短くて見栄えがしにくい。それに加えてあの日焼けではなおさら演技が地味に見えて芸術点が不利になったのではないかと心配になる。

 

シンクロ王国の復活を期するためには、できるだけ手足が長い選手を養成することと、日焼けを避けるように努めたほうがよいのではないか。まったくの素人のたわごとでした。

2009年7月19日 (日)

ランニングをすると記事が書けない

ひと月ほど前からわりと真面目にランニングをしている。

 

すると、それと反比例するようにブログの原稿が書けなくなってきた。まったく何も思いつかないわけではないのだが、一応人様にお見せするところまで文章をまとめる根気がなくなってしまった。

 

例えば、都議選前後の自民党の体たらくなど、ひと言申したいと思いつつも、「マスメディアでもいろいろ言われてるから、俺が駄文を労するまでもないか」と簡単に投げ出してしまう。

 

よく昔から体育会系の人をそしって「脳みそまで筋肉になっている」と言われたが、こういう状態のことではないだろうか。

 

酷使した筋肉から何かの疲労物質が出て、それが大脳の集中力や根気を削いでいるような気がする。

 

ブログの原稿が減る程度なら実害は小さいともいえるが、これがもし学生だったら学業成績の低下に直結することになる。だとすると、スポーツ選手が勉強ができないのはやむをえない。逆に、文武両道で両方一流という人がいたとすると、その人はすごい。

2009年7月11日 (土)

Karajan Symphony Edition~ベートーヴェン交響曲全集

979

この全集のカラヤンの演奏はとても臆病に聞こえる。楽譜の縦と横を合わせることに神経を傾注していて、ダイナミックスやアゴーキクを思い切って動かすところがない。その分、合奏は緻密で、オーケストラの機能はよくわかる。

 

このような自発性に乏しい演奏で聴くと、ベートーヴェンの交響曲は、絶対音楽的な完成度ではモーツァルトにはかなわないと感じる。やはりベートーヴェンは、絶対音楽の美しさや楽しさ、哀しさを追求した作曲家ではなく、音に観念的・言語的なメッセージを乗せようとしたと思う。

 

おそらくカラヤンはベートーヴェンの観念的・言語的なメッセージの部分に共感を覚えることができなかったのだろう。そのため、自分の判断で好きなように演奏をドライブするのを躊躇しているようだ。

 

クラシックのレコードを集め始めた頃(LPの時代!)、最高の指揮者はカラヤンだった。そして、そのカラヤンがもっとも有名な作曲家ベートーヴェンの交響曲全集の新録音をリリースしたと聞くと、それが新しいスタンダードであり、およそクラシック音楽ファンならぜひ持っていたいセットであるかのようなイメージを抱いていたものだ。

 

それから数十年が経って、当時は高価で手の届かなかったセットがきわめて安価に手に入るようになった。その間、クラシックとはいえ演奏様式も多様化し、時代の雰囲気も変化した。そうして、過剰な期待もなく聴いてみたところ、上記のような感想を持ってしまったのだ。

 

今後、このセットは、クラシック演奏史の1ページには残るだろうが、音楽ファンが必聴の全集という位置づけにはならないだろう。

 

以下、印象に残った点のみメモしておく。

 

1番

ベートーヴェンが想定したオーケストラはもっと軽やかで爽やかな響きだと思う。それには反する重厚でドラマティックなカラヤン様式だが、ハイドンと同様、そういうものだと思って聞けば楽しめるかも。

 

3番

表情が見えてこない演奏。オーケストラの機能をよく発揮しているのはわかるのだが、それでカラヤンは何を表現したいの?

 

4番

春風のように軽やかな曲をどうしてこんなに鈍重に演奏したのか理解に苦しむ。カラヤンは軽妙な曲は苦手だったのか。

 

7番

カラヤンの欠点が出た演奏。7番はメロディーに魅力が乏しいので、リズム感が勝負の曲。呼吸感のある演奏でなくては、リズムが単調になってしまって曲の魅力を引き出すことはできない。

 

Karajan Symphony Edition

Berliner Philharmoniker

Deutsche Grammophon 4778005

2009年7月 6日 (月)

グリーン・ニューディールは経済成長を約束するか

オバマ大統領の就任以来、経済危機への対応としてもグリーン・ニューディールが喧伝されているが、本当に環境分野への投資が新たな経済成長につながるのか、直感的には腑に落ちないものがあった。

 

NIKKEI NET IT PLUS で岸博幸氏は、環境分野への投資では、「資本ストックの増大」「労働力供給の増大」「技術進歩などによる生産性の向上」という経済成長の3大要因を拡大させる効果がなく、牽引役にならないと明快に主張している。

 

環境ビジネスそのものが長期の成長性を持つ一大産業となれば可能性はあるのかもしれないが、既存のエネルギーインフラの置き換えにとどまるのであれば、一定のところまでいけば飽和してしまい、限界に突き当たるだろう。

 

環境分野に資源配分をシフトすることは必要だろうが、環境投資さえすればすべてが解決するかのようなばら色のイメージ先行で政策を決定しては道を誤る危険性がある。

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