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2009年12月

2009年12月28日 (月)

1票の格差是正に向けた一歩は評価できる

大阪高等裁判所が、衆議院選挙で2倍を超える1票の格差は違憲とする判決を出した。遅きに失した面はあるものの、これまでの判決からすると、大きな前進だ。

 

判決要旨はここ で読むことができる。憲法が求める法の下の平等は、2倍を超える1票の格差を許容しないことを、論理的かつ明快に示している。

 

衆議院で民主党は単独過半数を占めており、かつ、参議院でも連立により過半数を占めている。その数の力を行使するのであれば、何を差し置いても議会制民主主義の一番基本である1票の格差の是正にこそまず向けるべきだ。

 

国民の多数が望んでもいない高速道路の無料化だとか、誰が考えても悪平等としか思えない子育て手当よりも、圧倒的に先にするべきは1票の格差の是正だ。

 

今回の判決を含め、裁判所は1票の格差そのものは違憲としつつも、選挙の無効にまでは踏み込んだことがない。期限を切って、その間に国会が是正措置を講じなかった場合は、選挙を無効とし、裁判所が決めた定員配分で選挙をやり直すことにすればよい。そこまで踏み込まなければ永遠に格差は是正されないかもしれない。そして、虚しく違憲判決を出し続ける裁判所の権威が地に落ちることになる。裁判所の威信にかけても、1票の格差の是正を実現しなくてはならないはずだ。

2009年12月27日 (日)

鳩山内閣の稚拙なCOP15交渉の裏側

DIAMOND online『「COP15」は“軍縮会議”に似たり!国益ありきで臨む米中に「主役の座」を奪われた日本――日本はどう戦ったのか?「COP15」交渉の舞台裏』は、京都議定書に続く温室効果ガス削減枠組みを交渉した先のCOP15の裏側を簡潔にまとめている。

 

これを読むと、鳩山総理が着任早々の国連総会で「25%削減」を宣言したことが、何の役にもたたなかっただけではなく、危うく日本の国益を大きく損ねるところだったことがわかる。

 

「国益を損ねる」という言い方では、大多数の国民にとっては他人事のように受け取られるかもしれないが、要するに、私たち国民が日夜額に汗して稼いだ大切なお金が、貪欲な“発展途上国”(実はGDP世界第2位の大国、中国)に何千億円、何兆円という単位で持っていかれるということだ。

 

ただでさえリーマンショックからの立ち直りが遅い日本にとって、そんなことに使う金などないのは明らかだ。国内の財政すら大赤字で借金まみれなのに、外国に進呈するお金が何千億円、何円とあるわけがない。もしそんな額を支払うとなれば、結局国民の懐に手を突っ込んで持っていくことになる。

 

国連総会で鳩山総理が「25%削減」を宣言したときに、会場からは拍手が起きた。この拍手の意味は、「ずいぶんとおめでたい人がいるものだ」ということだ。おめでたいから拍手したのだ。

 

国際交渉とは、それぞれの国の代表団が自国の国益(つまり、国民の幸せ)という厳粛かつ極めて重い責任を追って臨む、真剣勝負のやりとりだ。少しでも自国に不利になることは言わないように慎重には慎重を期するし、相手が少しでも口を滑らしてこちらにとって有利になる言葉を言いでもすれば、すかさず言質をとる。

 

交渉の常として社交辞令や美辞麗句はいやというほど飛び交うだろうが、衣の下には皆、鎧を着けているのだ。

 

鳩山総理は、満場の聴衆の前で、「25%削減」を宣言することにより、自らひとりで鎧を脱いでみせたのだ。「ほら、ぼくは鎧を脱いだから、みんなも脱ごうよ!」と呼びかけたのに等しい。

 

そして、12月になり、コペンハーゲンでCOP15が始まった。衣の下に鎧を着けた各国代表団がひしめく中で、たった一人、裸で乗り込んで行かざるをえなかったのが日本政府代表団だ。鳩山総理が「日本は裸で行く」と宣言してしまったからだ。

 

当然、日本政府代表団は、誰からも相手にされない。当たり前だ。ひとりだけまったく場違いな服装で現れたのだから。皆がタキシード、イブニングドレスで着飾っている満場のパーティ会場に、一人下着姿で現れたのが日本人だ。そんな奴が相手にされるわけがない。日ごろ批判されているお役人だが、この立場には同情を禁じ得ない。

 

そして、当然のことながら、日本はリーダーシップを取ることができず、交渉相手の中国からは「日本だけ25%削減にコミットしろ」と迫られるありさまだ。

 

日本が25%削減の義務を負わずにCOP15が終了して本当に良かった。

 

日本国民の幸福を犠牲にして自分だけ国際社会で善人ぶりたがる鳩山総理には一日も早く辞職して欲しい。

2009年12月24日 (木)

ヘンデル「メサイア」鈴木雅明、バッハ・コレギウム・ジャパン(2009)

今年もバッハ・コレギウム・ジャパン(BCJ)の「メサイア」(20091223日サントリーホール)を聞きに行った。

 

毎年座る場所が違うし、演奏に使われる版も違うので、まったく主観的な印象でしかないが、BCJのメサイアは年々メリハリのある演奏になっている。

 

初めてBCJのメサイアを聞いたのは5年くらい前だが、その時の印象は、とにかく繊細かつ透明感のある響きだった。それまで聞いていたメサイアは、大編成でお祭り騒ぎとまで言うと言い過ぎだが、祝祭的・イベント的な盛り上がりを追求する性質が強いものだった。ところがBCJの演奏はまったく対局にあり、一見蒸留水のように薄味だが、実は夾雑物をすべて濾過して残った真髄だったのだ。

 

それで病みつきになったのだが、かつての蜉蝣の羽のようなはかなさから、もっと力強さのあるスタイルに変わってきている。とはいっても、演奏の精度は変わらない。

 

ソリストの印象は次のとおり。

ソプラノⅠのニコルズは、美声と声量の豊かさはいつものとおり。ただし、今日は、メリハリがデジタルで、装飾音などのテクニックも質が一定していなかった。本調子ではなかったのではないか。

 

カウンターテナーのギヨンは、安定していたが、表現の幅が狭く、他のソリストに比べて地味だった。

 

ヴェルナー(バス)は、よく響く声で、36Why do the nations)や42Behold, I tell you a mystery)、43The trumpet shall sound)などの山場をしっかりと盛り上げ、この曲の魅力を十分に表現していた。

 

テュルク(テノール)は、安心して聞いていられたが、なぜか印象に残らなかった。

 

ソプラノⅡの松井亜希は、BCJのコーラスからの抜擢らしい。芯がありよく通るが透明感も兼ね備えた美しい声質で存在感を示した。緊張のせいか装飾音でとちったところもあったが、松井を聞けたのは今日の収穫だった。

 

ティンパニのハウズは客演だと思うが、小ぶりのティンパニを使っており、近代楽器よりも「太鼓」らしい音色だった。盛り上がるところでは思い切りよく強く演奏して、存在を主張していた。終演後は大きな拍手を浴びていた。

 

代役でトランペットのソロを吹いた斉藤は、出だしの目立つところでとちったし、繰り返しの際にはまた同じようにとちっていた。聞く方はラッパが出てくるとハラハラしてしまう。ちょっとねー。

 

アンコールでは、ソリストたちも合唱に加わってThe First Noelを演奏。さっさと帰った人たちはこれを逃して損した。

 

この演奏会はクラシックの演奏会慣れしていない聴衆も多いようで、拍手のタイミングが早すぎるのが残念だった。ところがなぜかアンコールだけはしっかりと最後の響きが消えるまで拍手がなかった。初心者は早く帰ってしまったのかも。

 

G.F.ヘンデル/オラトリオ『メサイア』 HWV56 (1754年 孤児養育院版)

指揮:鈴木雅明

独唱: レイチェル・ニコルズ(ソプラノI)、松井亜希(ソプラノII)、

    ダミアン・ギヨン(カウンターテナー)、

    ゲルト・テュルク(テノール)、ドミニク・ヴェルナー(バス)

合唱と器楽:バッハ・コレギウム・ジャパン 

   コーラス

     ソプラノ :クリステン・ウィットマー、鈴木美紀子、緋田芳江、藤崎美苗、松井亜希

     ア ル ト :上杉清仁、鈴木環、高橋ちはる、中村裕美、布施奈緒子

     テノール:石川洋人、谷口洋介、中嶋克彦、水越 啓、

     バ  ス :浦野智行、緋田吉也、藤井大輔、渡辺祐介

   オーケストラ

     トランペットI :斉藤秀範、トランペットII:村田綾子

     ティンパニ:ロバート・ハウズ

     オーボエI :三宮正満、オーボエII:森 綾香

     ヴァイオリンI:若松夏美、竹嶋祐子、山口幸恵

     ヴァイオリンII:高田あずみ、荒木優子、廣海史帆

     ヴィオラ: 天野寿彦、猪谷さくら

     チェロ:鈴木秀美、山本 徹  コントラバス:櫻井茂

     ファゴット:功刀貴子   チェンバロ:鈴木優人   オルガン:今井奈緒子

2009年12月17日 (木)

流行に意味はない

今年の冬の流行は、テラテラした光沢のあるポリエステル生地でキルティングしたダウンコートだ。ユニクロでも、他の店でもこれがずらっと並んでいる。当然、街で見かけることも多くなってきた。

 

従来、ああいうテラテラした光沢は、安っぽいと考えられていた。おそらく今後も基本的にはそうだろう。今が、例外なのだ。

 

なぜ今、テラテラした光沢が安っぽいと思われないのか。それは、いま流行しているからだ。流行しているものはカッコいい。カッコいいものが「安っぽい」と言われる筋合いはない。

 

この流行が何シーズン続くのかわからないが、流行が終われば、元のように安っぽいと思われるようになるだろう。流行のスタイルそのものには意味はない。ただ従来流行していたスタイルと違うことに意味があるだけだ。

 

ファストファッションの一般化で、洋服の単価が下がっている。安い服を何年も着られたのではアパレル業界もやっていけないので、流行のサイクルを短くしようとするだろう。したがって、あのテラテラが安っぽくてカッコ悪いと思われるようになるのはそう遠い将来ではない。

2009年12月10日 (木)

菅直人副総理が怒るのも当然だ

閣議の場で菅直人副総理が亀井郵政金融担当大臣に怒ったというのでメディアでは面白おかしく取り上げている。

 

確かに面白いのだが、菅副総理としては、一党の幹部の立場から、亀井大臣の増長ぶりに対して一矢報いなければ民主党内が収まらないという判断があったのだろう。

 

亀井大臣は、小政党の党首として、少しでも存在感を発揮し党勢の拡大に繋げたいと必死の努力をしているのはわかる。しかし、その主張たるや、ひと昔かふた昔まえの自民党のような政策である。高度成長期ならともかく、低成長時代には無理な主張だ。とてもじゃないが、改革勢力たる民主党政権の政策とは本来相容れないものだ。

 

亀井大臣の傍若無人ぶりを見習って、福島瑞穂消費者担当大臣まで沖縄米軍基地問題でわがままを言い始めた。これも実現可能性のない主張だ。「言わなきゃ損々」ということを亀井大臣が示したからだ。

 

先の総選挙で圧勝した民主党なのに、なんでこんなにも小政党に振り回されなくてはならないのかと、党内では不満が渦巻いていることだろう。それなのに鳩山総理は亀井大臣や福島大臣の言いなりになっている。場合によっては対決も辞さずに、総選挙で国民の信任を得た大政党の党首として鳩山総理がきっちりと仕切ることが必要だ。

 

党内には鳩山総理に対する不満が鬱積しているはずで、これを放置しておくと党の結束力に悪影響が出てくることを懸念して、菅副総理は亀井大臣と喧嘩して見せているのだろう。根性なしの鳩山総理がやらない、できないことを代わりにやっているわけだ。

 

鳩山総理の態度を見ていると、「友愛」というスローガンも、「場合によっては喧嘩も辞さない」という度胸を示すことができない、「根性なし」ぶりを正当化するための言い訳のように聞こえてくる。

2009年12月 5日 (土)

翻訳についての誤解を解く

翻訳家の山岡洋一氏が発行するニューズレター「翻訳通信」がウェブで公開されていることを最近発見した(こちら)。

 

山岡氏は、経済学の開祖アダム・スミスの『国富論』の新訳を2007年に出した。著名な経済学者による訳本が多数あるのになぜいまさら『国富論』の新訳を手がけたのか、その理由が語られている。

 

一言で言うと、岩波文庫や中公文庫で出ている経済学者の翻訳が日本語になっていないからだ。英単語と日本語の単語を一対一でむりやり結びつけて訳すという、学校英語の英文和訳のやり方そのままでは、表面的には英語が日本語に訳されていても、日本語だけ読んでも意味がわからない。

 

山岡氏は、プロの翻訳家であるが、『国富論』の新訳は出版社からの発注なしに作業に取り掛かったという。なぜなら、山岡氏が新訳を思い立った十数年前は、社会科学の古典をその分野の大学教授でもない翻訳家が訳すという例が出版界になかったからだ。しかし、学者には任せておけないというやむにやまれぬ熱意が山岡氏を突き動かし、収入にはならないかもしれない作業を始めたのだ。

 

せっかく多数の人に読み継がれる価値のある古典が、下手な翻訳のせいで読まれないままになっているのはあまりにももったいなく、翻訳家として放置できないという強い使命感が感じられる。

 

学校教師の便宜のために、使い物にならない“英文和訳”を仕込まれるうちに、それが絶対的に正しいという観念が蔓延してしまったことへの強い憤りが伝わってくる。確かに、学校の試験のためには、oftenは「しばしば」、principleは「原理」と、英単語と和訳とが一対一に対応していると便利だろう。しかし、ある言語で伝えたいメッセージを他の言語に移す翻訳という作業は、そのような機械的なものではない。“英文和訳”を刷り込まれるために、大多数の日本人は「翻訳」ができなくなってしまっているのだ。

 

学校英語の問題を始め、出版不況の問題など、翻訳家としての問題意識がひしひしと伝わってくるニューズレターだ。なかなか日の当たることの少ない翻訳家だが、プロとしての誇りが感じられる。

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