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2010年11月

2010年11月28日 (日)

ガーシュウィン「ラプソディ・イン・ブルー、パリのアメリカ人」ジェイムズ・レヴァイン(ピアノ、指揮)シカゴ交響楽団

539イツ・グラモフォン(DG)の格安56枚組箱物「The Collector’s Edition 2」の1枚として聴いた。ガーシュウィンの母国アメリカの音楽家たちが演奏したこのアルバムがあることは昔から知っていたが、DGの黄色い額縁とガーシュウィンのイメージがマッチせず、単独のアルバムで購入するには至っていなかった(今ではDGはあの伝統ある黄色い額縁をやめ、カバーデザインの自由度が増しているので、ガーシュウィンに額縁をつけるようなことは今後はないだろう)。

ガーシュウィンの演奏に求められる生き生きとしたリズム感と自発性が、一流のクラシック演奏家の技術と表現力に裏付けられ、理想的なコンビネーションとなっている。もちろんジャズ演奏家のようなアドリブはないが、まじめな人が無理におどけているような危うさはなく、ジャズの語法を取り入れたクラシック音楽としての表現の完成度を追求し、成功している。

George Gershwin

Rhapsody in Blue, Cuban Oveture, Catfish Row – Suite from “Porgy and Bess”,  An American in Paris

Chicago Symphony Orchestra

James Levine, piano & conductor

Deutsche Grammophon  431 625-2

2010年11月15日 (月)

「言語のレシピ」マーク・C・ベイカー(郡司隆男訳)

4000227300

今までに何冊も生成文法の本を読んだが、いずれも前提を十分検討せずにいきなり英文法のモデル化作業をマニアックに進めるものばかりで、そうした作業が本当に生成文法(普遍文法)の存在証明につながるのかまったく不明なものばかりだった。本来、生成文法は言語学を科学にすることを標榜していたはずだが、実際にやっていることは実証を怠って教祖(チョムスキー)の教えを忠実になぞろうとする宗教そのものであり、生成文法の学者とはキモい連中だと思わずにはいられなかった。

しかし、本書を読んでようやくまともな生成文法(普遍文法)学派の学者に出会えた。かねてから生成文法の存在を証明するためには、類型論のアプローチが不可欠だと考えていたが、ベイカーはまさにこれを実践している。盲目的に英文法の精緻なモデル作成に没頭するのではなく、まず類型論に基づく言語間の比較を行って、世界のさまざまな言語の大きな特徴の差異を把握し、そのうえで順次パラメータを設定していくのだ。

ベイカーは、モホーク語が話される地域に住居を構えて実地調査を行った経験がある。そうした生の言語を対象とする研究を行った学者だからこそ、英語中心主義の陥穽に陥ることなく、バランス感覚を持って真に「普遍」を探求するアプローチができたのだろう。

著者は第7章で言語の多様性がもたらす豊かさを強調している。この多様性を尊重する立場は本書に通低するものでもあり、ベイカーは生成文法の仮説を絶対視することなく、あくまでも説明力がある範囲において採用している。生成文法を絶対視しないどころか、注意深く本書を読むと、認知言語学のアプローチを許容するととれる記述もある。ドグマにとらわれることなく、真理に対する謙虚な態度を持ち続けている。

生成文法を絶対視して崇め奉り、英語母語話者でないにもかかわらずつたない英語力を頼りに内省で英語のモデル作成に没頭している自称言語学者たちはベイカーの爪の垢を煎じて飲むべきだ。それにしても、実証をしようともせずに科学だと思い込んでいる生成文法学者たちは頭が悪すぎる。やはり言語学なんて食えない学問をやる時点で頭の悪い連中が多いのだろうか。



「言語のレシピ」マーク・C・ベイカー(郡司隆男訳)

岩波書店

ISBN: 4000227300

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