2015年5月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

一人一票実現国民会議

  • 一人一票実現国民会議

FireFox

  • Mozilla Firefox ブラウザ無料ダウンロード
無料ブログはココログ

学問・資格

2010年3月 6日 (土)

論文剽窃、経歴詐称も堂々とやれば...

As_3 悪質な盗用をしたとして、東京大学から博士の学位を取り消されたアニリール・セルカン助教は、論文の剽窃だけでなく、以前からネットでは経歴詐称の疑いも指摘されていた。

 

まとめサイト「アニリール・セルカン経歴詐称疑惑」によれば、アニリール(こちらが姓)は次のような華麗な経歴を自称していた(若干編集した。[?]は理屈庵)。

 

<学歴>

1995年イリノイ工科大学建築学科卒業[?]

1997年プリンストン大学数学部講師[?]

1999年バウハウス大学建築学科修士課程修了[?]

2003年東京大学大学院工学系研究科建築学専攻博士課程修了

 

<職歴

日本宇宙航空研究開発機構(JAXA)宇宙科学研究本部宇宙構造物工学研究室講師

東京大学大学院工学系研究科建築学専攻助教

ローマ大学・ナポリ大学・モントリオール大学客員教授

東京理科大学・筑波大学非常勤講師

 

<受賞歴等>

2001NASAジョンソンスペースセンター宇宙構造・材料系客員研究員として宇宙飛行士プログラムを終了[?]2004年トルコ人初宇宙飛行士候補に選ばれる[?]

宇宙エレベーター計画など、宇宙構造物に関する研究開発により、U.S Technology Award[?]、ケンブリッジ大学物理賞[?]及びAmerican Medal of Honorを受賞[?]

 

このうち、[?]を付した経歴に詐称の疑いがあるほか、業績として挙げている論文の多くも学会誌に掲載された事実がないという。まとめサイトには写真の捏造疑惑なども出ており、興味は尽きない。

 

いかさま師に学位を授与し、助教として採用してしまった東京大学工学部のお粗末さはいうまでもない。文部科学省からも調査・報告指示が出された。

 

一方、ここまで徹底的に詐称をすると、かえってバレないというのも驚きだ。そのような盲点を発見し、実践した点においては、アニリールは天才的だといえよう。きっとほとぼりが冷めた頃にはその才能を活かしてどこか他の世界で復活を遂げるのではないだろうか。

2008年11月 3日 (月)

見た目で入試不合格

神奈川県立高校で、入試では合格圏だったのに面接での服装や態度を理由に22人が不合格となっていたことが問題とされている。

 

詳細な合格基準は知らないが、入学選考過程に面接があるということは、面接の結果が合否に影響するということだろう。

 

では、面接とは何か。面接の内容が純粋に知識を問う口頭試問のみであるならば別だが、普通の面接は所詮面接官が主観的な評価をするものである。もっともらしい評価項目や評価基準があらかじめ設けられていることもあるが、そういう評価も見た目に大きく影響されるものだ。個人的な好き嫌いが評価に影響することは、心理学者たちの研究によって既に明らかにされている。

 

それに、まともな受験者ならば、可能な限り良い印象を与えるように服装から態度、話し方まで努力するのが当然だ。そういう努力をしない者は評価が下がっても仕方がない。

 

今回は県立高校だったので、入学選考過程での透明性や客観性が強く求められるため問題視されたのはある程度やむをえない。しかし、県立だろうが私立だろうが、面接で良い印象を与えようとする気もないような志願者を入学させる学校がもしあったら将来性はない。

 

神奈川県教育委員会としてとるべき対応は、今後は面接での評価基準に見た目も含まれることを明示することだろう。

2008年2月 6日 (水)

変な名前の学部が増えたね その2

最近また気になる変な学部名を見つけた。 

そのひとつは、「未来科学部」というもの。前回、現代○○学というのは変じゃないかと指摘したが、未来○○学も同様にあやしい。EXPOなんとかの展示館の名称のようでもある。

ほとんどの学問は、過去(事実)を分析することで未来につながる知見を得ようとするものだろう。わざわざ「未来」と銘打つことにどれほどの意味があるのかはなはだ疑問である。

もうひとつは、人間文化共生学部というもの。企業の経営理念や自治体のスローガンには「共生」は良く使われる言葉だが、学問としてあるのか。

細分化され袋小路に入ってしまった現代の学問分野を再統合して全体性を再生させようとする、いわゆる学際の動きはあるかもしれないが、これまた前回 指摘したように、そういう先進的・野心的な学問的な挑戦をするのに十分な資源があるとは思えない大学にこういう学部が設置される傾向がある。

日本の大学は、通常、入学する時点で専攻を決めなくてはならない。しかし、社会経験もなければ大学で勉強する学問の内容についてもほとんど知識のない高校生に出願の時点で専攻を決めさせるのは、一生の進路を決定してしまうかもしれないことを考えると、酷な面がある。まして、こういう得体の知れない学部を選ばせることにどういう意味があるのか。

どうせ学部レベルで学ぶ内容の専門性なんてたかが知れているのだから、無理に最初から○○学部を選ばせるのではなく、教養学部か文理学部とでもしておいたらどうか。入学してから入門レベルの授業を受けてみて専攻を決めればよい。単科大学はこういうわけにはいかないが、総合大学なら総合性を生かすためにも入り口はひとつにするべきだろう。

2008年1月23日 (水)

役に立つ資格

一時期、勤務先の会社で報奨金が出ることもあって資格の取得に励んだことがあった。英語、情報処理、法務など。 

そのうえでの結論は、「業務独占資格でなければあまり役に立たない」というものである(業務独占資格とは、その資格がなければ業務に従事できないもの。医師、弁護士など。)。 

社会人として十年以上の実務経験を積んだ段階では、情報処理技術者の上級資格はエンジニアなら転職の際に技術力の証明として有利に働くかもしれないが、それ以外の非独占資格はそれこそ“会社で報奨金をもらう目的”にしか役に立たない。 

世に資格をたくさん取得することに血道をあげている「資格マニア」と呼ばれる人々がいる。しかし、そういう人たちは器用貧乏で結局あまり大成していないのではないかと思われる(わが身を振り返って言っているのだが)。 

ひとつの道を窮めようとし、そして窮めた人は、資格をたくさん集めたりはしないだろう。いろんな資格に手を出したりするのは、「自分はこの道を窮める!」という手ごたえを感じることがないままに、努力の対象を絞り込めずに次々に移り変わっていくからである。 

あるいは、もっとうがってみれば、何かしら自己不全感を持っており、それを埋め合わせるために資格を取っているだけなのかもしれない。ところで、普通の資格とは違うが、名誉博士号をやたらに集めている人がいるようだが、この人も何らかの心の隙間を抱えているのかもしれない。

2007年9月20日 (木)

教育問題の源流

最近、教員免許の更新制とか教員の再研修などで質を確保する議論が盛んに行われている。近年になって教員の質が落ちたのかどうか、どうやって客観的に確かめるのかわからないが、状況として不適格教員が増えた可能性は高い。

 

30年位前までは、教員は聖職のひとつとして尊敬されており、児童生徒の模範となりうると自他共に認めるような人材が多く教員になったものだった。学生として優等生であった人が、高い使命感を持って教員という職業を選んでいたのだ。

 

ところが、1970年代ころから、日教組は教員を労働者の一種と明確に位置づけ、労働者としての権利を主張したのだ。たしかに教員もサラリーマンの一種でありこの主張は形式的には正しいので、教員は聖職者ではなく労働者なのだという認識が教員・保護者・児童生徒の間に広くいきわたることとなった。その結果、「でもしか」教員のような能力・使命感の低い教員が大量に発生することになった。

 

このプロセスにはひとつ大きな欠落があった。教員が労働者の一種に過ぎないというなら、学校もサービス業の一種に過ぎないと位置づけ、市場メカニズムに組み込まれるべきだったのだ。ところが、学校は公的な機関であり市場メカニズムには任せられないものという考えだけが残ってしまったため、質の低い教員が淘汰されることなく、雇用の安定にあぐらをかく状況になってしまった。

 

教員になる入り口の敷居が低くなったのに、不適格な教員の出口がない。それが現在の学校なのである。

 

したがって、不適格教員の問題を解決するためには、淘汰のメカニズムが働くように制度を改革することが必要である。どんな企業や団体でも、適材適所の人材配置をすることは基本である。学校だけがその例外である必然性はない。

2007年8月17日 (金)

変な名前の学部が増えたね

バブルが崩壊した頃からだろうか、大学に新しい名前の学部ができてきたのは。初めの頃は「環境」「情報」「総合」「人間科学」「政策」などが流行のキーワードだった。その後もどんどん斬新な学部名が登場し、「ビジネス」「現代」「デザイン」「マネジメント」「国際」などの言葉が流行っているようだ。

それらの学部名を眺めていると、流行のキーワードを適当に組み合わせて学部名にしているようにも思える。試しに順不同で適当に組み合わせてできる学部・学科名が実際にあるか調べてみた。

国際環境政策(×=地域環境政策ならあった)

人間情報科学(○)

ビジネスデザイン(○)

現代マネジメント(○)

総合情報デザイン(×=人間情報デザインはあった)

適当に組み合わせた言葉でも6割の確率で実在していた。

時代の変化に対応して新しい学問分野が登場するのは当然だ。しかし、こうした流行語(のように見える言葉)でつけた学問が本当にあるのか疑わしい。教授陣をみても、旧来の分野のセンセイ方が集まっているだけだったりする。

中でも不思議なのは、「現代」という言葉だ。「現代法学」「現代マネジメント」「現代社会学」「現代心理学」「現代生活学」(いずれも実在する学部名)という名称の「現代」にいったいどれほどの積極的な意味があるのだろうか?

その本質から、現代よりも前だけを対象とする学問分野(考古学、古典語学(古代ギリシア語、ラテン語など))を除けば、普通、学問は過去から現代まであらゆる時代を対象にするはずではないか? 仮に研究者によっては対象を現代に絞るとしても、学問そのものは過去からの積み上げの上に成立しているのではないか。

それなのに、むざむざと対象を「現代」に限定してしまうなんて、真理の探究を究極の目的とする学問にとって誠実な態度なのだろうか。そこまで深く考えているようには思えない。やはりそんな名称の学問が本当に存在するのか深い疑念を抱かざるを得ない。

また、お世辞にも新しい学問分野の開拓と教育をするために十分な人的・知的・物的資源に恵まれているとは言いがたい大学に新奇な名称の学部が多いのはどういうことだろうか。

状況証拠からは、大学淘汰の時代を迎えて、伝統的な学問分野での実績が不十分な大学が新奇な学部名で受験生の気を引こうとしているだけのように思われる。入学の時点ではネーミングで集客に成功したとしても、入学後の学生満足度のほどはいかがなものだろうか。

(その2へ)