2015年5月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

一人一票実現国民会議

  • 一人一票実現国民会議

FireFox

  • Mozilla Firefox ブラウザ無料ダウンロード
無料ブログはココログ

日記・コラム・つぶやき

2010年9月19日 (日)

エコキャップねぇ...

エコキャップ運動をご存知だろうか。かなり広まっているので知っている人は増えているだろう。職場でも、近所のスポーツクラブでも、ゴルフ練習場でも、キャップを入れるためのかごが用意してある。

使用済みのPETボトルを捨てる時に、キャップだけを分別して集めてしかるべきNPOに送ると、そのNPOがキャップを売却し、その収益金でワクチンを途上国に寄付するという運動だ。

ゴミに混ぜて捨てれば燃やされてしまうキャップが、分別すればリサイクル可能な資源になり、しかもその収益が途上国の子供たちのために使われる...環境にも良く、人助けにもなる、まことに申し分のない活動である。

しかし、本当にそうか。NPOのサイトによれば、400個のキャップで10円になるのだという。他方で、キャップを輸送するのに2400個あたり630円の輸送費がかかる。2400個割ることの400個は60円だ。630円かけて、60円を寄付する計算になる。金銭ベースでぜんぜん採算が合っていない。

630円かけて60円を寄付するくらいなら、はじめから630円寄付した方がよいのではないか。集めたキャップの輸送に使われる燃料からCO2も発生するし。

それに、最近はゴミを燃やした熱をサーマルリサイクルする自治体も増えており、ゴミとして捨てたものがすべて環境負荷になっているとは限らない。

かつてカン入り飲料のプルトップが取れた時代に、プルトップを集める運動があった。プルトップを集めて売却し、福祉用具を購入してしかるべきところに寄付するという運動だった。しかし、これが実は都市伝説だったらしい。

もちろんプルトップは資源としてリサイクルできる有価物であるが、何もプルトップだけを集める必要はない。カン本体もアルミや鉄としてリサイクルされているのだから、一緒にリサイクルすれば良いだけのことだ。

どうもエコキャップ運動は、プルトップ運動の生まれ変わりのような気がしてならない。私たちには、一見資源的価値がありそうな小物を集めたがる性癖があるのではないか。それを集めることで環境保護や人助けができるというストーリーが好きなのだろう。

善意でやっていることを頭ごなしに否定はしないし、キャップを捨てるときに目の前にかごがあればそこに入れるが、少なくともそれでとても良いことをしているとは思っていない。

2010年5月16日 (日)

問題なコマーシャル

ジョンソンの「カビキラー・除菌@キッチン・アルコール除菌」のテレビコマーシャルは問題だ。

 

濡れたふきんで食卓を拭くという当たり前の行為について、「雑菌を塗り広げているので危険」と断じ、「アルコール除菌が必要」だと決めつけている。

 

濡れたふきんに雑菌がいるのは事実だが、だからといって、それであちこちで伝染病が発生して病人や死人が多数出ているわけではない。人類は何百年も昔からふきんを濡らして食卓を拭くという行為を行ってきている。もしそのために病人が多発しているのなら、とっくの昔にそんなことはやめているだろう。雑菌のうち、病原性があるものはごく一部に過ぎないし、それが食卓のうえで増殖するわけでもない。

 

そもそも空気中でも、人間の体の中にでも、雑菌はいくらでもいるのであって、無菌状態にする必要はない。というか、無菌状態を維持することは不可能だ。仮に食卓をアルコールで拭いたとしても、アルコールが蒸発乾燥した瞬間から空気中の雑菌が次々に食卓の上に降り注いでくる。

 

また、ジョンソンのWebサイトを見てみると、「ウイルスにも効果的」と謳っている。しかし、胃腸炎を起こす感染性のノロウイルスは、アルコールでは死なない。もし家族がノロウイルスに感染している人が、この謳い文句を信じてこの商品でウイルスを防除したつもりになっていたら、家族全員がウイルス性胃腸炎で倒れる結果になるかもしれない。

 

したがって、ジョンソンのコマーシャルで言っていることは、嘘と脅迫なのである。ふきんは、頻繁に洗濯してよく乾かしてから使用すれば問題ない。無駄な商品を買わされないように気をつけよう。嘘と脅迫で商品を売ろうとするジョンソンという会社の辞書には企業倫理という言葉は載っていないようだ。

 

この例に限らず、衛生関連の商品は、無視しても良いリスクを針小棒大に言いふらして恐怖を煽り、不要な商品を買わせようとするものが多い。常識に照らして判断するようにしたいものだ。

2010年1月11日 (月)

フィリップスの電気カミソリHQ8261

Philips 昨年末に電気カミソリを買い換えた。数年毎に買い替えながらもう20年近くフィリップスのものを使い続けている。

 

剃り味だけならパナソニックなども良いことは知っているのだが、カミソリ負けしてしまうことがあり、フィリップスがちょうどいいと判断している。

 

これまで使っていたのはHQ8140。使ってきた歴代のフィリップス・シェーバーの中では、この機種が一番良くなかった。深剃りが利かず、剃った直後でもざらつきがある。くせヒゲに弱く、あごの下に剃り残しが多い。本体が軽くなったのだが、却って力が入れにくかった。

 

こんなに不満があったのだが、せっかく1万円ほど出して買ったものをすぐに捨てるわけにもいかず、2年間ほど我慢して使っていたのだ。そろそろ償却したと考えて家電量販店を物色してみると、HQ8261が安くなっていたので、買い換えることにした。

 

HQ826110日間ほど使ってみた感想としては、上記HQ8140の不満がすべて解消された。剃ったあとの肌のざらつきがなくなり、あごの下のくせヒゲも剃れている。本体は重くなったが、独特の流線型のフォルムに沿って握った手に力が入れやすい。しかも、剃ったあとの肌への刺激が少ない。まだ電池が放電するところまでは使っていないが、仕様によると17日間持つとのことで、これも進歩している。

 

剃り残しが多いわりに肌への負担が大きかったHQ8140はいったいなんだったんだ! おそらくフィリップスとしては失敗作だったと思われる。

2009年12月17日 (木)

流行に意味はない

今年の冬の流行は、テラテラした光沢のあるポリエステル生地でキルティングしたダウンコートだ。ユニクロでも、他の店でもこれがずらっと並んでいる。当然、街で見かけることも多くなってきた。

 

従来、ああいうテラテラした光沢は、安っぽいと考えられていた。おそらく今後も基本的にはそうだろう。今が、例外なのだ。

 

なぜ今、テラテラした光沢が安っぽいと思われないのか。それは、いま流行しているからだ。流行しているものはカッコいい。カッコいいものが「安っぽい」と言われる筋合いはない。

 

この流行が何シーズン続くのかわからないが、流行が終われば、元のように安っぽいと思われるようになるだろう。流行のスタイルそのものには意味はない。ただ従来流行していたスタイルと違うことに意味があるだけだ。

 

ファストファッションの一般化で、洋服の単価が下がっている。安い服を何年も着られたのではアパレル業界もやっていけないので、流行のサイクルを短くしようとするだろう。したがって、あのテラテラが安っぽくてカッコ悪いと思われるようになるのはそう遠い将来ではない。

2009年11月24日 (火)

世間知らずの学校教師たち

以前、高校の同窓会で、二十数年ぶりに恩師と再会して話をする機会があった。そこで驚いたのは教師たちが世間知らずなことである。我々より年長の教師たちが、我々同級生の会社員や自営業者などと比べても、話に深みや含蓄がない。いかに学校教師が狭い世界で生きているかを痛感した。

 

最近、モンスターペアレントが学校で問題になっているという。もちろん、自由には責任が、権利には義務が伴うことを理解しないで、一方的な主張をする親たちに問題はあろう。

 

しかし、学校教師たちの世間知らずぶりを考え合わせると、世の中で決して通らない主張をする親に対して、効果的な反論や説得をするスキルを持ち合わせておらず、その結果モンスターペアレントたちを増長させているのではないか。

 

メンタルヘルスを損なって退職のやむなきに追い込まれる教師も少なくないというので、教師の側を責めるのは酷かもしれない。でも、もし教師の側に、一般の職業に就いている人ならば持ち合わせているようなクレーム対応のスキルがあればそのような悲劇も避けられたのではと思ってしまう。

 

高校生くらいになるとファストフードなどでアルバイトをする生徒も多い。そういうところで世間の風に当たった生徒ならば、世間知らずの教師などなめてかかっても怖くないかもしれない。

 

教師が説得力を持ってこれから社会に出て行く生徒を指導するためにも、教師も学校の外の世界をもっと知る必要があるのではないか。長い夏休みの期間を利用して、教師もファストフードでアルバイトをしてみたらよい。

2009年7月19日 (日)

ランニングをすると記事が書けない

ひと月ほど前からわりと真面目にランニングをしている。

 

すると、それと反比例するようにブログの原稿が書けなくなってきた。まったく何も思いつかないわけではないのだが、一応人様にお見せするところまで文章をまとめる根気がなくなってしまった。

 

例えば、都議選前後の自民党の体たらくなど、ひと言申したいと思いつつも、「マスメディアでもいろいろ言われてるから、俺が駄文を労するまでもないか」と簡単に投げ出してしまう。

 

よく昔から体育会系の人をそしって「脳みそまで筋肉になっている」と言われたが、こういう状態のことではないだろうか。

 

酷使した筋肉から何かの疲労物質が出て、それが大脳の集中力や根気を削いでいるような気がする。

 

ブログの原稿が減る程度なら実害は小さいともいえるが、これがもし学生だったら学業成績の低下に直結することになる。だとすると、スポーツ選手が勉強ができないのはやむをえない。逆に、文武両道で両方一流という人がいたとすると、その人はすごい。

2009年6月30日 (火)

ウォークマンのイヤーピース

愛用しているウォークマンのイヤーピース(耳に挿入する部分のゴム製部品)を紛失してしまい、買い換えることになった。

 

それで調べてみると、NW-S703F用のイヤーピースEP-EX1はS・M・L各2個入りがセットになって売られている。

 

なくしたのはMサイズなので、SとLは必要ない。たまたま私は右と左のサイズが違って、Sはいずれ使う可能性があるが、Lは不要だ。

 

S・M・Lのセットをまんべんなく必要とする人はまずいないだろうから、この売り方はおかしい。ネットの口コミでも悪評だらけだ。

 

調べてみると、オーディオテクニカのイヤーピースER-CK5に互換性があるらしいことがわかった。純正品にするかどうするか逡巡したが、今回はセット販売に対する抗議の意味も込めてAT社のものを購入した。

 

装着してみると、純正品との違いは感じられない。カナル型イヤーフォンの場合、イヤーピースがぴったりしていないと音質が悪化するのだが、問題はなかった。

 

ソニーも反省したらしく、現行機種のイヤーピースはサイズ別に販売している。

2009年6月20日 (土)

オタマジャクシはなぜ降るのか

最近、日本各地でオタマジャクシが降ることが多い。以前にはこのような現象は見られなかったようだ。なぜ最近になって突然オタマジャクシが降るのか?

 

それは誰かが降らせているからだろう。ミステリーサークルやポルターガイスト現象と同じだ。誰かがいたずらでやっているにきまっている。

 

そうでなければ、何の共通性もない離れ離れの地点で同じような現象が起きるわけがない。もし竜巻か何かで水中のオタマジャクシが吸い上げられて降ってくるのなら、オタマジャクシ以外の水中の物体も一緒に降ってくるはずだ。また、もしカラスが餌として飲み込んだオタマジャクシをゲップした拍子に吐き出してしまったのだとしても、そんな現象が全国各地で同時に多発するわけがない。

 

まあこんないたずらはあえて種明かしをしないで、楽しんでいればいいようなものだが、干物にされてしまうオタマジャクシがちょっと可哀想ではある。

2009年4月 8日 (水)

日本人は他人への信頼感が低い

日経ビジネスONLINEこの記事を読んで、積年の疑問が解けたように感じた。

 

社会心理学者の山岸俊男北海道大学教授のインタビュー記事である。この中で山岸教授は、日本人は見知らぬ他者に対して、「自分のことを利用しようと考えているのではないか」「他の人々は自分のことしか考えていないのではないか」と疑心暗鬼を生じる傾向が強いのに対して、米国人は「渡る世間に鬼はなし」と感じる傾向が強いという。

 

日本人は閉鎖的な集団の相互監視の中で生活してきたので、好むと好まざるとに関わらず、他人に協力せざるを得ない。その結果、個人が他人を信頼する習慣が育まれてこなかったという。

 

一般に米国人といえばオープンでちょっと能天気なイメージがあるが、それはまさに他人を信頼するから自分をさらけ出すことができるわけだ。一方で日本人は他人を信頼していないからオープンになることができないで、ひたすら集団の輪を乱さないことに神経を使っているのだ。

 

米国人の自己主張が強いことはよく知られている。その一方で、他人に対してフレンドリーで、親切でもある。これに対し、日本人は、自己主張は弱いが、見ず知らずの他人には関わろうとしない。

 

このコントラストがなぜなのかが疑問だった。そして、その答えは、他人に対する信頼の強弱だったというわけだ。

 

自分を振り返っても、不信モード(他人)から信頼モード(知人)への切り替えに時間がかかると感じる。文化として刷り込まれてしまっているので、変えるのは容易ではないだろうが、変えたいものだ。

2009年4月 5日 (日)

あらゆる地図は古地図になる

1999年発行の地図を持っている。ほんの10年前だが、その間にも街の様子は変わった。例えば、表参道ヒルズの場所には同潤会アパートがあったし、六本木のミッドタウンになっている場所は防衛庁だった。

 

たまに大型の書店で古地図の展示販売をやっていることがある。赤坂の溜池には本当に「ため池」があったり、都心部の主要な土地はほとんどが各藩の屋敷だったりする。

 

街は生き物で、つねに変化している。江戸時代と現代ほどの大きな違いはないにしても、10年もすればあちこちに違いが現れるし、20年、30年となれば変化はさらに大きくなる。

 

世界でも、旧ユーゴスラビアがいくつもの国家に分裂したように、国境にも変化がある。

 

最新の地図も10年、20年と経てばいつの間にか古地図になっていくのだ。増えつづける本はときどき整理せざるをえないが、地図の数冊はとっておけばいつか古地図の楽しみが味わえるようになる。あたかも新酒が古酒になるように。